Because You Are Precious
あなたは高価だから
John 4:4-9
ヨハネ4章4節〜9節
Last month we started to look at a meeting between Jesus and a Samaritan woman.
先月から私たちはイエス様とサマリアとの女性の出会いについてみてきました。
This meeting was recorded by Jesus’ disciple, John.
この出会いはイエス様の弟子のヨハネによって記されました。
And, if you remember, we’re focusing on how John describes Jesus.
私たちは、ヨハネがイエス様のことをどのように表現しているか、注目しています。
John records this meeting to teach us who Jesus is.
ヨハネは、イエス様が誰であるのかを私たちに教えるために、この出会いを書き記しています。
So, as we read through this story, I want to look carefully at what Jesus does;
だから、私たちはこの物語を読むとき、イエス様が何をなさるのか、注意深く見ていきたいのです。
Because, as we have confirmed, Jesus does what He does because of who He is!
なぜなら、私たちが前回確認してきたように、イエス様は神様ご自身なのでそうなさるのです。
Let’s look back at how John introduces Jesus at the beginning of his gospel.
では、ヨハネが福音書の最初にイエス様をどのように紹介しているか、見てみましょう。
The Word (Jesus) became flesh and made his dwelling among us. We have seen his glory, the glory of the One and Only, who came from the Father, full of grace and truth. (John 1:14)
ことばは人となって、私たちの間に住まわれた。私たちはこの方の栄光を見た。父のみもとから来られたひとり子としての栄光である。この方は恵みとまことに満ちておられた。
From the fullness of his grace we have all received one blessing after another. (John 1:16)
私たちはみな、この方の満ち満ちた豊かさの中から、恵みの上にさらに恵みを受けたのである。
By the way, the word “gospel” means good news.
ところで、「gospel、福音」という言葉は、『良い知らせ』を意味します。
The first four books of the New Testament are called The Gospels.
新約聖書の最初の4つの書は、『福音書』と呼ばれています。
They record the meaning, the purpose, of Jesus’ work in this world 2000 years ago.
そこには2000年前のこの世界でのイエス様の働きの意味、目的が記されています。
And this work is declared to be ”good news.”
そして、この働きは、『良い知らせ』と言われています
John tells us that Jesus came from the Father.
ヨハネはイエス様が天のお父様の元から来てくださったのだと教えています。
Jesus came, full of grace and truth.
イエス様は、恵みと真に満ちておられ、来てくださいました
In Jesus, John confesses that they saw the fullness of God’s glory.
イエス様の中に神様の栄光が満ちておられることを拝見した、とヨハネは告白しています。
And he continues that, from the fullness of God’s grace in Jesus, they had received one blessing after another.
そして、イエス様の中にある神の満ち満ちた恵みの中から、恵みの上にさらに祝福を受けた、とヨハネが続けて語ります。
This is the gospel.
これが福音です!
This is the good news.
これが良い知らせです。
The good news is that, in his grace, Jesus came from God, to bless us.
良い知らせとはそのことです。イエス様の恵みの中で、イエス様は天のお父様の元から来てくださいました。私たちを祝福するためです。
The meeting between Jesus and the Samaritan woman is recorded so that we will know this good news ourselves;
イエス様とサマリアの女との出会いは、私たちもこの福音を知ることができるように記されています。
So that we would receive this good news ourselves;
私たち自身がこの福音を受け取ることができるように
So that we would personally experience the fullness of God’s grace and truth in our own lives.
私たちは私たち自身の人生の中で神様の恵みと真実を個人的に経験するように、と書かれました。
This Samaritan woman had gone to the well to draw water.
このサマリアの女性は水をくむためにその井戸に行きました。
Getting water from the well was women’s work.
井戸から水をくむことは、女性の仕事でした。
But it was noon.
しかし、それは正午でした。
It was hot.
暑い時間帯でした。
There would be no one else there at that time.
その時間には、そこにはほかに誰もいないはずでした。
All the other women from town went to the well in the cool of the early morning and evening.
その町に住むほかの女性たちはみな朝方や夕方の涼しい時間にその井戸に行くものでした。
But this woman didn’t want to go when there were other people at the well.
しかし、この女性は、ほかの女性たちがその井戸にいるときにそこには行きたくありませんでした。
She had chosen to go by herself.
彼女は一人でそこに行くことを選んでいました。
She didn’t fit in with the other people.
彼女はほかの女性たちといっしょにいることがうまくいきませんでした。
She had no place together with them.
彼女らの中には居場所がなかったです。
This woman was unacceptable, rejected, isolated.
この女は受け入れられず、拒否され、孤立していました。
Nevertheless, this woman had to go to the well.
それにもかかわらず、この女は井戸に行かなければなりませんでした。
This was a very arid, dry place.
そこはとても乾燥した、水のないところでした。
The well was the only place to get water.
その井戸は水を手に入れられる、唯一の場所でした。
Today, in Japan, if you want water, you only have to turn on the tap.
今日の日本で、水がほしいなら、水道の蛇口をひねりさえすればいいでしょう。
Or you can easily buy water from a shop or vending machine.
或いは、店や自動販売機で簡単に水を買うことができます。
You can get drinking water anywhere at any time here;
日本では、いつでも、どこでも飲料水を手に入れることができます。
So it is very difficult for us to imagine the situation in this story.
だから、私たちにはこの物語の状況を想像することはとても難しいことなのです。
Water is necessary for living.
水は生きるために必要なものです。
You need it to drink, to cook with, and to wash and clean with.
水は飲むため、料理をするため、体を洗ったり、掃除や洗濯したりするためにも必要なものです。
But you could only get water by going to the well.
しかし、その井戸に行くことだけが水を手に入れる手段でした。
This particular well was famous.
この話に出てくる井戸は有名でした。
It was called Jacob’s well.
ヤコブの井戸と呼ばれていました。
This well, in fact, still exists today.
実際、この井戸は現在でも残っています。
The Samaritan woman herself indicated that the well was deep.
サマリア人の女性自身はその井戸が深い井戸であると指摘しました。
When it was excavated, they discovered that the well was, can you believe, 100 meters deep.
その井戸が発掘されたとき、信じがたいことに、その深さはなんと100メートルもあることがわかりました。
That is a very deep hole.
それはとても深いものです。
Can you imagine trying to pull a heavy container of water up from the bottom of a 100 meter deep hole?
100メートルの穴の底から重い水の桶を引き上げることを想像できますか?
And it was the job of the women to do this.
そして、これは女性の仕事でした。
It was hard work.
それは大変な仕事でした。
Normally, the women were there together to help each other.本来なら、女性たちはお互い助け合うためにいっしょにいました。
They would support and encourage each other.
彼女たちはお互い支え合い、勇気づけ合ったことでしょう。
Each person would not have to struggle to pull their heavy bucket of water all the 100 m up out of the well by themselves.
一人で100メートルの深さから重い水の桶を引き上げるために苦労することはありませんでした。
Because they were there together, as one person got tired, another could take over the burden and give that person a rest.
なぜなら、彼女たちはいっしょに仕事をして、一人が疲れたら、ほかの人が重荷を引き受け、休息を与えることができたからです。
It would have been like traditionally planting rice fields in Japan.
それは日本の伝統的な田植えの作業のようなものだったでしょう。
Everyone gathers together to plant one person’s rice field.
みんなが田植えをする人の田んぼに集まります。
Then, they would move on to the next person’s rice field and plants that.
それから、みんなは次に田植えをする人の田んぼに移動し、苗を植えます。
In that way, all the rice fields would be planted, but no one had to bear the burden of planting a rice field by themseves.
そのように、すべての田んぼは苗が植えられました。誰も一人だけで田植え作業の重労働に耐える必要はありませんでした。
And at the well, while they were resting, the women would talk to each other.
そして、井戸では、彼女たちが休息をとる間、彼女たちはおしゃべりをしていたでしょう。
And they would listen to each other.
そしてお互いの話に耳を傾けたでしょう。
They could share together what was on their hearts.
彼女たちは心にあるものを共有することができたでしょう。
And in doing so, they could support each other in bearing the emotional burdens of life.
そうすることで、彼女たちは生活の中の精神的な重荷をお互いに支え合うことができました。
So, the well was the centre of community for those people.
だから、その井戸は彼女たちの暮らしのつながりの中心でした。
The well reminded the people that they were not alone.
井戸は人々に自分が一人ではないことを気づかせました。
The well reminded the people that they belonged.
井戸は、みんなに居場所があることを気づかせました。
Water was the source of their life in that dry desert;
水は渇いた砂漠の生活の源でした。
And they could share their lives together every time they went to get that water.
彼女たちは、水を手に入れるために出かけると、いつも生活を共有することができました。
But for this particular Samaritan woman it was different.
しかし、このサマリアの女性は違っていました。
The well was a reminder that she didn’t have these things.逆に、その井戸は、彼女がそれを持っていないことを気づかせるものでした。
She was different.彼女はみんなと違っていたのです。
She wasn’t a part of that community.彼女はそのコミュニティの一員ではありませんでした。
She didn’t belong.
彼女は仲間はずれでした。
So if she went to the well with the others, instead of talking with her, they would have just talked about her behind her back.
だから、もし彼女がほかの女性たちとその井戸に行くとしたら、みんなはサマリアの女性とは話さず、彼女についての噂をこそこそしゃべっていたでしょう。
And instead of having warm ears and hearts to listen to her, she would have just received their cold, condemning stares and the silent rejection of their backs.
そして、彼女の話を聞いてもらう温かい耳と心のかわりに、みんなの冷たい、非難のまなざしと静かに拒絶する背中を向けられたでしょう。
But this woman had to go to the well.
しかし、この女はその井戸に行かなければなりませんでした。
She had no choice.
彼女には選択の余地がありませんでした。
She needed water to live.
彼女は生きるために水が必要だったのです。
So, this woman went to the well in the middle of the day.
だから仕方なく彼女は暑い日中にその井戸に行きました。
It was really hot.
本当に暑い時間帯でした。
But she would sigh in relief when she got there because there was no one else there to condemn her.
しかし彼女はそこに着くとほっと安堵のため息をつきます。なぜなら、そこには彼女に苦痛を与える人が誰もいなかったからです。
But at the same time, every time she got there,
しかし一方、彼女はそこに着く度に、
because there was no one there,
そこには誰もいなかったから
she was again reminded that she was all alone.
彼女はいつも自分が一人ぼっちであることに、また気づかされました。
She didn’t belong.
彼女の居場所はどこにもなかったのです。
There was no one to talk to.
話をする相手は誰もなく、
There was no one to hear her.
彼女の話を聞いてくれる人もいませんでした。
There was no one to help her carry her burdens.
自分の重荷を共に背負ってくれる人はいませんでした。
She was indeed isolated.
彼女は本当に孤立していました。
So, she must have been very surprised to realize that someone else was at the well that day.
だから、彼女はその日、ほかの人がそこにいることが分かって本当に驚いたに違いありません。
She had gone to the well in the daytime to avoid meeting people.
彼女はほかの人に会うことを避けて、わざわざ日中の時間帯にその井戸に行きました。
But there was Jesus, sitting on the wall of the well.
しかし、その井戸のふちにイエス様が座っておられました。
There was no way for her to avoid him.
イエス様を避けることは彼女にはできませんでした。
There was nowhere to hide.
隠れる場所などありませんでした。
And then Jesus asked her a question.
そのとき、イエス様が彼女に話しかけました。
He asked her for some water.
イエス様は彼女に水がほしいとおっしゃいました。
The Samaritan woman was surprised.
サマリアの女性はおどろきました。
She didn’t want to see anyone at the well.
彼女はその井戸で誰にも会いたくありませんでした。
She hadn’t been expecting a conversation.
彼女は会話することなど期待していませんでした。
She couldn’t believe that that person at the well spoke to her.
井戸のふちに座っているその人に話しかけられるなんて信じられませんでした、
If you know any American history, you will remember that American society used to be completely segregated between Anglo-Saxons and African-Americans.
アメリカの歴史をご存知なら、かつてアメリカの社会はアングロサクソン人とアフリカ系アメリカ人が完全に差別されていたことを思い出すでしょう。
So-called whites and blacks.
いわゆる白人と黒人です。
Whites consider themselves superior, blacks inferior.
白人は自分たちを優っているものとみなし、黒人を劣ったものとしました。
So whites segregated society between the two races:
だから白人は二つの人種の間の社会を差別しました。
Schools and workplaces were segregated;
学校も働く場所も分けられました。
Public transportation and eating places were separated;
公共交通機関もレストランも分けられました。
Even drinking fountains were separated.
水を飲む場所さえも分けられました。
So blacks were forbidden to drink from drinking fountains that were designated for white people.
そのため黒人は白人用の水飲み場から水を飲むことを禁じられました。
That’s because white people thought black people would contaminate the water.
それは、白人は黒人が水を汚ごす、と考えたからなのです。
And white people would therefore under no circumstances drink from a black person’s fountain.
そして、絶対白人が黒人の水飲み場から水を飲むことはありませんでした。
Now, if we can put these two kinds of situations together, it's as though Jesus was white, but he has gone to a black persons fountain for a drink.
さて、この二つの状況から、イエス様が白人としたら、その人が黒人の水飲み場に行ったようなものでした。
But he did not just ask for permission to get a drink.
しかしイエス様は飲み物を手に入れるための許可を求めただけではありませんでした。
He actually asked the woman for a drink from her own bucket.
イエス様はサマリアの女性の桶から飲ませてほしいと頼みました。
In other words, Jesus says: "Will you give me a drink from your own cup please?"
つまり、イエス様は、「あなたのコップから飲み物を私にくれませんか」とおっしゃったのです。
The woman was naturally surprised.
サマリア人の女性は当然におどろきました。
She said to him:
彼女はイエス様に言いました。