Making Room for God
神様のために居場所を作る
ヨハネ16章33節


Happy New Year everyone!
みなさん、あけましておめでとうございます!

I am so happy to be here together again!
またみなさんとここに集うことができて、私はとてもうれしいです!

If you went away for a holiday, welcome home.
旅行に出かけていたなら、おかえりなさい。

If you stayed here in Yokkaichi, then I hope you had a good time here too.
四日市で過ごしていたなら、ここで良い時をお過ごしになったことでしょう。

I have been looking forward to today.
今日の日がくることを楽しみにしていました。

I have been looking forward to seeing you all!
みなさんにお会いすることを楽しみにしていました!

It is good to have something to look forward to.
楽しみにすることがあるということは、大切です。

Well, more than that, I think that, as humans, we need to have something to look forward to.
それよりも、私が思うには、人間として、楽しみに思うことを持つことは必要なのです。

When I was a child, the thing that I used to look forward to most was Christmas.
私が小さい頃、一番楽しみにしていたものはクリスマスでした。

Every day, I would look under the Christmas tree at the growing pile of presents.
毎日、私はクリスマスツリーの下で大きくなっていくプレゼントの山を見ていました。

They had been sent from overseas relatives, from friends, and from my own family.
それは外国に住む親せき、友達、そして家族からのものでした。

And every day that Christmas got closer, the pile of presents seemed to grow into a mountain.
クリスマスが近づくにつれて、プレゼントは山のように大きくなっていきました。
Which ones were for me?
どれが私のためのものだったのでしょう?

It was so hard to wait!
待っているのは大変でした!

Every day I would look under the tree.
毎日私は木の下で見ていました。

I would search out the names on the cards.
私はカードの名前をさがしていました。

I would carefully check the shape, the size, and the weight of each present.
私はプレゼント一つ一つの形、大きさ、重さを注意深くチェックしていました。

What was hidden underneath that wrapping paper??
包み紙の下には何がかくされていたのでしょう??

Oooh, this looks like a good one…
あぁ、これは良いもののように見える

Oh no! It’s for my brother!
なんていうことだ!それはお兄さんへのプレゼントじゃないか!

You know, one thing that I just didn’t understand at that time was that when people had bought those presents, they had taken the time to think about what would make me happy.
その時の私は理解できなかったのです。人がプレゼントを買うとき、その人は私を喜ばせようと考える時間を使ってくれるのです。

They had thought about what would be good for me.
彼らは私のために何が良いのか、考えてくれました。

But it was hard for me to stop and think about that.
でも、私にはプレゼントを贈ってくれる人のことをちゃんと考えることはできませんでした。

After Christmas, my parents would make us sit down and write “thank you letters.”
クリスマスの後、私の両親は私をすわらせ、お礼の手紙を書かせました。

But instead of feeling thankful, I remember feeling more inconvenienced that my precious time to play with my new toys was being taken away from me.
でも、感謝の気持ちの代わりに、私はそれが面倒だったことを思い出します。新しいおもちゃで遊ぶ時間が私から奪われたのですから!

So I was still being forced to wait!!
だから私はまだ待たなければなりませんでした。

It can be so hard to wait for something that you think you want!
やりたいことをがまんして待つことはとてもむずかしいことです。

Being able to look forward to something, in other words, having something concrete to look forward to, is central to who we are as people.
何かを楽しみにできること、言い換えれば、楽しみに思える具体的なものを持つということは、私たち人間にとっては中心となることなのです。

On the one hand, it reveals a negative aspect within us.
それは私たちの内側にある、悲観的な一面を明らかにするともいえるでしょう。

There is something that we want.
私たちには願望があります。

Because we don’t have it, we don’t feel complete.
それを持っていないから私たちは不完全に感じます。

And so we desire to have that thing, because we think that it will bring us happiness.
だから、そのものが私たちを完全にしてくれると思い、それを欲しがるのです。

We think it will bring us satisfaction.
私たちはそれが私たちに満足を与えてくれると考えるのです。

Having that thing will help make us complete.
そのものを持つことにより私たちは完全になると思ってしまうのです。

And deep in our hearts, we long to be complete.
そして心の奥底で、私たちは完全であることを熱望します。

So, having something concrete that we can look forward to awakens within our hearts a sense of dissatisfaction with our hearts.
だから、私たちが具体的に楽しみにするものを持つことは、不満の感情を私たちの心の内側に呼び起こすのです。

We become aware that we are not the way we think we should be.
自分の理想の姿になっていないことに気づかされます。

There is something missing.
なにか欠けているものがあります。

We feel that we are not complete.
私たちは完全ではないと感じます。

But at the same time, having something concrete to look forward to raises within us a sense of hope.
しかし同時に、楽しみとする具体的なものを持つことは、私たちの内側に希望の感情を呼び起こします。

While realising that something important is missing, we become aware that we won’t have to remain stuck in this situation.
大切なものが欠けていると理解する一方、私たちはこの状況でいつまでもとどまる必要はないと気づくようになります。

There is something that can fill the emptiness of what is missing.
実際、欠けているものの虚しさを埋めることができるものがあります。

It can take us beyond where we are;
それは今の状況を乗り越えさせてくれます。

It will make us complete.
私たちを完全なものにしてくれます。

Having something to look forward to provides us with a sense of hope.
楽しみにするものを持つことは、私たちに希望を与えます。

When I was thinking about this, it reminded me of an episode in one of the Harry Potter books and films.
私はこのことについて考えていたとき、ハリーポッターの本や映画のエピソードを思い出しました。

There was a mirror.
ある鏡がありました。

And when different people looked into that mirror, they each saw something different.
その鏡を見る人によって、それぞれ違うものが見えるのです。

They each saw themselves, but not as they really were.
それぞれの人が自分自身を見ていたのです。しかし、それは現実とは違うものでした。

But each of them was amazed at what they saw.
しかし、彼らのそれぞれが自分の見たものに驚きました。

They saw themselves as being completely fulfilled and satisfied.
彼らは完璧に役割を果たし、満足している自分自身を見たのです。

The way the mirror worked was explained like this:
鏡の持つ力について、このように説明されています。

If the happiest person in the world were to look into that mirror, they would just see themselves, just as they really were.
もし、世界で一番幸せな人がその鏡を見たら、その人はそのままの自分自身を見るでしょう。

But it was not that the mirror simply showed what people wanted;
しかし、その鏡は人々が望むものをただ映すだけなのではありませんでした。

It revealed the deepest yearnings of their hearts.
それは心の内側の切望を明らかにします。

Can you imagine such a mirror?
あなたはそのような鏡を想像できますか?

If you looked into that mirror, what would you see?
その鏡を見たら、あなたには何が見えるでしょう?

What would that mirror reveal about your heart?
その鏡はあなたの心の何を明らかにするのでしょう?

If you were to look into that mirror, would you see yourself reflected back just as you are now?
その鏡を見たら、あなたが今、こうしているような姿が映し出されるのでしょうか?

Or do you feel that there is something missing in your life;
あるいは、あなたの人生において何かかけていると感じるでしょうか?

something that would, not bring you merely a temporary, superficial happiness;
ただの表面的な幸せをもたらす何かではなく

but something that would make you complete?
自分を完成してくれる何かです。

Of course, no such mirror exists in this world.
もちろん、そのような鏡はこの世界に存在しません。

But what do you think is missing in your life?
しかし、自分の人生には何が欠けていると思いますか?

What do you think would make you complete?
あなたを何があなたを完成させてくれると思いますか?

What do you hope for?
あなたは何を望みますか?

What is the deepest desire of your heart?
心の中で切望しているものは何ですか?

Now, as we think about this for a moment, I want you to hold that thought in your heart.
さて、そのことを心に留めながら少しこのことを考えていきましょう。

… because I have two questions to ask.
私には二つの質問があるからです。

We all have hopes.
私たちはみんな希望を持っています。

There will always be things that we want.
私たちは生きている限り、何かを欲しがるでしょう。

But my first question is: “What is the
deepest desire of your heart?”
私の最初の質問は、『あなたが一番切望していることは何ですか?』です。

What would bring you completeness?
何があなたを満足させるのでしょう?

What do you really hope for?
あなたが本当に望むことは何でしょう?

Now, hold that thought in your heart as I ask my next question please.
次の質問をしますので、そのことを心に留めておいてください。

My second question is: “Do you actually look forward to what you hope for?
二つ目の質問は、『あなたは望んでいることを本当に楽しみにしていますか?』です。

Do you wait with genuine anticipation that this deepest desire of yours will be fulfilled?
自分の心の切望を満たすものを純粋に期待しながら待ち望んでいますか

In other words, do you really believe that this hope will be fulfilled?
つまり、この希望を満たすものだと本当に信じていますか?

Do you actively believe that it is possible for you to be totally satisfied?
完全に満たされることができると、本当に信じていますか?

Is being fulfilled and complete something that we can realistically hope for?
自分が満たされること、完全になることは現実的な望みでしょうか

Day to day, we seek after what we desire.
日々、私たちは欲しいものを手に入れようとしています。

We try to find ways to make our lives easier.
生活を便利にする方法を見つけようとしています。

But at same time, problems occur that would take away our happiness.
しかし、同時に、私たちの幸せを弱めてしまうという問題が起こります。

Problems are a reality in life.
問題は生活の中にある現実なのです。
We don’t want them.
それを望んではいません。

We don’t ask for them.
頼みもしません。

But they are sure to be there.
しかし、必ず起こるのです。

But strangely, at the same time, I think that in our hearts, we actually often believe that we won’t have problems.
しかし、同時に、不思議なことに、問題は起こらないだろうと信じているのだと、私は思います。

We tend to have a natural thinking that peace, happiness, success, are our right.
平和、幸せ、成功は私たちの当たり前の権利であると考えがちです。

So when problems inevitably do happen, we are strangely not expecting them.
だから、問題が起こると、私たちは驚きます。

When things don’t go according how with think they will;
物事は私たちの思い通りにいかない時、

when our plans go wrong;
私たちの計画がうまくいかなかったとき

we get surprised.
私たちは驚きます

Even shocked!
ショックを受けさえします。

And we question: “Why?”
だから私たちの問いかけは『なぜ?』なのです。

Why did things turn out this way?
なぜこんなことになったのだろう?

Why did this have to happen to me?
なぜ私にこんなことが起こらなければならないのだろう?

What did I do to deserve this?
罰せられるようなことをしたのだろうか?

It is especially at these kinds of times that we are conscious that we are not complete.
こういう時こそ、私たちは完全なものではないと自覚します。

Is being fulfilled and complete something that we can realistically hope for?
自分が満たされること、完全になることは現実的な望みでしょうか

Jesus talked to His disciples about this very problem.
イエス様は実際に弟子たちにこのことを話しました。

He confronted this problem head on.
正面からこの問題に取り組みました。

And then He showed them that there is a solution to that problem.
そして、その問題の解決方法について人々に明らかにしました。

He said:
イエス様はこのように言われました。

  • "I have told you these things, so that in me you may have peace. In this world you will have trouble. But take heart! I have overcome the world." (John 16:33)
  • わたしがこれらのことをあなたがたに話したのは、あなたがたがわたしにあって平安を持つためです。あなたがたは、世にあっては患難があります。しかし、勇敢でありなさい。わたしはすでに世に勝ったのです。」  ヨハネ16章33節

He begins with telling them His purpose.
イエス様は先ず、自分の目的を弟子たちに説明しました。

Jesus’ desire for His disciples is that they would have peace.
弟子たちへのイエス様の要望は平安を持つことでした。

And that peace was available to them.
そして、その平安は彼らにとって求めうるものでした。

They would receive peace by being “in Jesus.”
彼らはイエス様の内にあることによって平安を受けるでしょう。
In other words, peace is to be gained through being in relationship with Jesus.
言い換えれば、平安はイエス様につながることによって得られるのです。

Because of who He is;
イエス様がどなたであるか

Because of what He would do;
イエス様が何をなさるか

Jesus is guaranteeing that by being “in Him,” His disciples would have peace.
イエス様は、自分の内にあるなら弟子たちが平安を持つことを確約していました。

He is declaring that their peace
is a realistic hope;
イエス様は彼らの平安を持つことが現実の希望であるとはっきり告げています。

It is a concrete experience based on a concrete truth.
それは真実に基づく実際の経験です。

It is something that can not only be hoped for, but that can actually be gained.
希望するだけでなく、実際に手に入れることのできるものです。

Yet at the same time, Jesus is realistic about the environment in which the disciples lived.
しかし、同時に、イエス様は弟子たちが生きている環境の中の現実なのです。

They would have trouble.
これから彼らには問題がまだ起こるでしょう。

Even though they believed in Jesus, even though they were “in Jesus,” they would have trouble.
イエス様を信じていてさえ、イエス様の内にあってさえ、それでも彼らには問題があります。

Believing in Jesus does not mean that all the troubles of this world suddenly disappear.
イエス様を信じることで、この世界の全ての問題が突然なくなるということではないのです。

Jesus was not promising that to His disciples.
イエス様は弟子たちにそのことを約束していませんでした。
Jesus does not promise that to us.
イエス様はそのことを私たちにも約束していません。

But at the same time, Jesus is teaching that the problems of this world can be seen in a new context.
しかし、同時に、イエス様はこの世界の問題を新しい視点で見られるようになるとと教えています。

Jesus promised peace to those who believe in Him.
イエス様は自分の内にある人々に平安を約束しました。

Yet Jesus acknowledged that they would still have troubles.
しかし、イエス様は人々が今なお問題の中にいるとおっしゃっています。

The world is full of trouble.
世界は問題であふれています。

And so as long as we live in this world, we will experience trouble.
だから、私たちがこの世界で生きる限り、私たちは問題に直面するのです。

But in spite of that, Jesus encourages those who believe in Him:
しかし、そのかわりに、イエス様は自分の内にある人々を勇気づけます。

  • "I have told you these things, so that in me you may have peace. In this world you will have trouble. But take heart! I have overcome the world." (John 16:33)
  • わたしがこれらのことをあなたがたに話したのは、あなたがたがわたしにあって平安を持つためです。あなたがたは、世にあっては患難があります。しかし、勇敢でありなさい。わたしはすでに世に勝ったのです。」       ヨハネ16章33節

    • “Take heart! I have overcome the world.”
    「勇敢でありなさい。わたしはすでに世に勝ったのです。」

    In spite of the problems in the world, Jesus could promise peace to His disciples.
    世界には問題があるにも関わらず、イエス様は弟子たちに平安を約束することができました。

    Even though there continue to be problems in this world, Jesus is still able to offer His effective peace.
    世界の問題がそこにあり続けても、イエス様はなお効果的な平安を与えてくださることができるのです。

    In other words, the peace that Jesus offers is not controlled or constrained by the problems of this world.
    つまり、イエス様が与えてくださる平安は世界の問題に支配されたり、束縛されたりしません。

    Jesus has overcome the world.
    イエス様は世に勝ったのです。

    And so the peace Jesus offers is effective, even in this world.
    それゆえ、イエス様が与えてくださる平安は、この世界にあってさえ効果的なのです。

    The peace that Jesus offers is not based on the things of this world.
    イエス様が与えてくださる平安は、この世界のものに基づいたものではありません。

    It is based only on who Jesus Himself is.
    それは、イエス様ご自身だけに基づいたものです。

    That’s why Jesus continued:

    • Peace I leave with you; my peace I give you. I do not give to you as the world gives. Do not let your hearts be troubled and do not be afraid. (John 14:27)
    それがなぜなのか、イエス様はこのようにおっしゃいます。

    • わたしは、あなたがたに平安を残します。わたしは、あなたがたにわたしの平安を与えます。わたしがあなたがたに与えるのは、世が与えるのとは違います。あなたがたは心を騒がしてはなりません。恐れてはなりません。(ヨハネ14章27節)

    • “Don’t be afraid!”
    『おそれてはいけません!』

    This is the message of peace that God has continued to bring as He revealed Himself to the people in this world:
    これは神様がもたらし続けてくださった平安のメッセージです。
    “Don’t be afraid!”
    『おそれてはいけません!』

    When He told Mary she would bear His Son, Jesus;
    神様がイエス様をお生みになったマリアに話したとき

    when He comforted and encouraged Joseph to go ahead and take Mary as His wife;
    ヨセフにマリアを自分の妻として受け入れるように慰め、励ました時、

    and when Jesus was born, to the shepherds in the fields…
    そして、イエス様がお生まれになった時、野原で羊飼いたちに

    God announced Himself, and His plan, with these words:
    神様はこの言葉を持ってご自身と、ご自分の計画をしめしました。

    “Don’t be afraid!”
    『おそれてはいけません!』

    By the way, let’s think for a moment where Jesus was born.
    ところで、イエス様がお生まれになったところについて考えてみましょう。

    Let’s look at what Luke recorded:
    ルカの福音書を見てみましょう。

    • “and she gave birth to her firstborn, a son. She wrapped him in cloths and placed him in a manger, because there was no room for them in the inn.” (Luke 2:7)
     男子の初子を産んだ。それで、布にくるんで、飼葉おけに寝かせた。宿屋には彼     らのいる場所がなかったからである。(ルカ2章7節)

    When He was born, Jesus was placed in a manger.
    イエス様がお生まれになったとき、飼い葉おけに寝かされました。

    A manger is a trough for feeding animals.
    飼い葉おけとは家畜のえさを入れるものです。

    But this was no modern, well equipped stable
    しかし、これは馬小屋に備え付けられた現代の物ではありません。.

    It was probably more likely to have been a cave where animals of poor shepherds were kept.
    それはおそらく貧しい羊飼いの家畜がつながれている洞穴のようなものでした。

    Why was Jesus born there?
    なぜイエス様はそこでお生まれになったのでしょう?

    • because there was no room for them in the inn.
    なぜなら宿屋には部屋がなかったからです。

    In Jesus, God Himself had come to us.
    イエス様にあって、神様ご自身が私たちのところに来てくださいました。

    He announced His presence;
    神様はその存在を示されました。

    and He declared His purpose:
    そこでその目的を明らかにされました。

    • “Don’t be afraid!”
    • 『おそれてはいけません!』

    But when He came, there was no room for Him.
    しかしイエス様が来てくださったとき、イエス様のための場所はなかったのです。

    Everyone was busy.
    みな忙しかったのです。

    They were doing work that they had to do.
    彼らにはしなければならないことがありました。

    Bethlehem was filled with people who had returned to their hometown for a national census.
    ベツレヘムは人でいっぱいでした。みんなは戸籍登録のために先祖の町に戻らなければなりませんでした。

    They were busily organising themselves to fulfil their social and legal obligation.
    彼らは社会的、法的な義務を果たすために忙しく手配に追われていました。

    They had come to this small town from far and wide.
    彼らは遠方からこの小さな町にやってきました。

    They all needed somewhere to stay.
    彼らはみな泊まるところが必要でした。

    And the inn keepers were busy looking after all these people.
    だから、宿屋の主人はこの人々の世話のために忙しかったのです。

    So, their work, even their busyness was itself not a problem.
    つまり、彼らの仕事、その忙しさそのものが問題ではありませんでした。

    But they did have a problem.
    しかし彼らには問題がありました。

    God had come to them.
    神様は彼らのところに来てくださいました。

    He had come to their town.
    彼らの住む町に来てくださいました。

    He had come to their inns, to their homes.
    宿屋にも、住まいにも来てくださいました。

    He had come to them personally.
    神様は直接かれらに来てくださいました。

    But there was no room for Him there.
    しかし神様のための場所はなかったのです。

    Everywhere was full.
    どこもいっぱいでした。

    The people would not open their doors.
    人々はドアを開けることさえしませんでした。

    They would not welcome God into the midst of their work.
    かれらは自分たちの真ん中に神様を歓迎しませんでした。

    In their busyness, there was no room to let God near.
    忙しさのために、神様を近づけるための場所がなかったのです。

    The doors were not open.
    ドアは閉じられたままでした。

    Even though they desired freedom, they were not expecting how it would come.
    彼らが自由を望んでいたにも関わらず、どういう形でそれがやってくるのか、予想していなかったでしょう。

    So on that first Christmas, there was no room for Jesus.
    だから、その最初のクリスマスに、イエス様のための場所はありませんでした。

    There was no room for God.
    神様のための場所はありませんでした。

    As we start another new year, I am challenged to look behind the door of my own heart.
    新しい年が始まりました。私は私自身の心のドアの裏側を見るように求められているように感じています。

    Is it open, or is it closed?
    それは開いているでしょうか、閉じているでしょうか?

    I desire the peace that Jesus offers.
    私はイエス様が提供する平安を強く望みます。

    But am I making room in my heart for Jesus?
    しかし、私はイエス様のために心に場所を作っているでしょうか?

    I am busy.
    私は忙しいです。

    I have social and legal responsibilities.
    私には社会的にも法的にも責任があります。

    We all do.
    私たちはみんなそうです。

    And we are used to doing things the way we do them.
    そして、私たちは自分が決めたように物事に取り組むことに慣れてしまっています。

    We have our hopes and our desires;
    私たちには希望と欲望があります。

    but we also have our own way of trying to get what we want ourselves.
    しかし私たちにはほしいものを手に入れようとする独自の方法もあります。

    Our situations may look different, but we are all the same.
    私たちの状況は違うように見えるかもしれません。しかし私たちはみんな同じです。

    Will we make room for Jesus in the midst of our busy lives.
    私たちは忙しい生活の真ん中にイエス様のための場所を作るでしょうか?

    No. Will we make Jesus the centre of our lives?
    というか。私たちは人生の中央にイエス様を据えるでしょうか?
    Jesus has promised His peace.
    イエス様は平安を約束してくださっています。

    It is His peace that makes us complete.
    私たちを完全にしてくださることがイエス様の平安でした。

    It is by being “in Jesus” that we receive His peace.
    イエス様の平安を受け取ることはイエス様の内にあることです。

    It is available now.
    今、それを受け取ることができます。

    Jesus comes to us in the midst of our busyness;
    イエス様は私たちの忙しさの真ん中に来てくださいます。

    He will meet us in the very middle of our problems.
    イエス様は私たちの問題のど真ん中で私たちに会いに来てくださいます。

    Jesus seeks to encourage us in the face of our problems:
    イエス様は私たちの問題の最中に私たちを励まそうとしたいのです。

    • “Take heart. I have overcome the world!”
    「勇敢でありなさい。わたしはすでに世に勝ったのです。」

    There is an irony in why Bethlehem was filled with people.
    ベツレヘムが人々でいっぱいだったことは皮肉な結果です。

    Bethlehem was a small town that was under the control of the Roman military government.
    ベツレヘムはローマ軍政の支配下にある小さな町でした。

    So the Jews originally from that place had returned there because they had been ordered by the Romans to undergo a census.
    だからユダヤ人はローマの人口調査を受けるため先祖の町に戻ってきていました。

    They were a defeated people.
    彼らは支配されていました。

    They were humiliated.
    彼らは屈辱を与えられていました。

    They wanted freedom.
    彼らは自由を求めていました。

    But in God’s plan, Jesus, the One who would provide for their true freedom, had literally arrived at their doorstep through their troubles!
    しかし、神様の計画の中、彼らに本当の自由を与えられるイエス様を、彼らの苦難を通して、(文字通りの)彼らの玄関先に現れたのでした。

    Yet they didn't open their doors to Him.
    しかし、彼らはイエス様にドアを開きませんでした。

    There was no room for Jesus there.
    そこにはイエス様のための場所はありませんでした。

    Even the inn keeper who introduced Mary and Joseph to the so-called stable, in his busyness, only dealt with Jesus from a distance.
    マリアとヨセフにいわゆる厩を紹介した宿屋の主人さえ、彼の忙しさの中で、距離を置いてイエス様を扱うだけでした。

    But, Jesus comes to us with God’s message of peace:
    しかし、イエス様は神様の平安のメッセージを持って私たちのところに来てくださいました。

    • “Don’t be afraid.”
    『おそれてはいけません!』

    “I have overcome the world.”
    『わたしはすでに世に勝ったのです。』

    We could have this peace of God.
    私たちは神様のこの平安を保つことができます。

    We could experience this.
    私たちはこれを体験することができます。

    But will we open the door and make room for Jesus?
    しかし、私たちは心のドアを開き、イエス様の場所を作るでしょうか?

    Father God,
    天のお父様、

    Our lifestyle so often seems to be overwhelmed with busyness.
    私たちの生活はついつい忙しさに覆われているように感じます。

    So many things demand our attention.
    多くのものが私たちの時間を奪います。

    There are always so many things that we think we have to do.
    私たちは、やらなければならないことがいつもあるように思っています。

    And there is so much trouble in this world.
    また、この世には困難がたくさんあり、

    There are so many problems in our own lives.
    私たち自身の人生の中にも問題が多くあります。

    But You come to us in the midst of everything that is happening.
    しかし、あなたは起こっているすべてのことの真ん中にいてくださいます。

    You create order out of confusion;
    あなたは困難から秩序を作り出し、

    and You bring peace from out of our turmoil.
    私たちの患難の中から平安をもたらしてくださいます。

    Father, please us to turn our attention to you;
    天のお父様、私たちがあなたに目、心、を剥くことができるように助けてください。
    please help us to make room for You in our hearts,
    私たちの心にあなたのための場所を作ることができるように助けてください。

    so that each of us may receive Your peace into our own lives;
    私たちの人生にはあなたの平安を受けることができるように、

    so that we will meet each problem, each challenge with Your peace;
    あなたのその平安を持って一つ一つの問題やチャレーンジを迎えることができるように

    so that Your peace will give us victory in our lives.
    そして、あなたの平安が私たちの人生に勝利を与えてくださいますように。

    In Jesus’ Name,
    イエス様のお名前によって、

    Amen
    アーメン