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At Home English School 英会話教室: Communicate with Comfort

Change through trusting
信仰による変化
John 4:14, 1 Thessalonians 5:24
ヨハネ4章14節、テサロニケ第一5章24節


One of the frustrating things about learning another language is that it is very hard to measure your own progress.
他の国の言語を学ぶことの難しいことのひとつは自分の進歩の程度を自分で計って知るということです。

When I first came to Japan, it took a long time before I was able to speak in full sentences.
私がはじめて日本に来たころ、文章で話せるようになるまでにすごく時間がかかりました。

It was always very hard for me to say what I wanted to say.
自分が言いたいことを相手に伝えることは、いつも私にとって大変なことでした。

But at the same time, it was also very hard for everyone else to understand what I was trying to say.
でも、それと同時に私が言おうとしていることを他の人が理解することも大変なことでした。

That still often happens now.
今でもそんなことはよくあります。

So I am really happy to have the freedom to talk in English now!
だから私は今、英語で話す自由が与えられていることは、とてもハッピーです!

When learning another language, I think that we all wish that we could suddenly just do it perfectly.
外国の言語を勉強するとき、私たちはみんなすぐに完璧に話せるようになれたらいいのにと願います。

We want to experience a sudden and perfect change.
私たちは、瞬時の、完璧な変化を求めます。

But learning a language takes time.
しかし、言語を学ぶことは時間がかかるものです。

It is an incremental process.
徐々に進歩していくものです。

Word by word!
一語一語、という具合です。

It is like learning to walk.
歩くことを学ぶような感じです。

We have to practice step by step.
私たちは一歩一歩練習しなければなりません。

And often, they are only very small steps.
たいていそれはとても小さな一歩一歩です。

So it can be hard to see if you are making any progress or not.
だから進歩したのか、していないのか、見極めるのが難しいかもしれません。

In fact, often, it feels like you are not making any progress at all.
実際、まったく進歩していないように、たいていは感じるでしょう。

Actually, when you start to pick up a bit of a new language, it is then that you start to realize how much you still don’t know.
実際には、新しい言語を少し身につけ始めると、まだ知らないことが何と多いことか、わかり始めます。

So, what stands out in your own mind is not how far you have come;
だから心の中に占める思いは、どれくらい進歩してきたか、ということではなく、

What really seems to stand out in our hearts and minds is how far we still have to go.
自分がまだどんなに足らない状態で、まだまだ頑張らなければならないか、ということです。

And this can make us feel disappointed.
このことが私たちをがっかりさせる時があります。

I think that this is also a feeling that people experience regarding faith.
私は人々が信仰に関して経験する感情もこのようなものだと思っています。

Growing in faith is just that…
信仰の成長は、継続的なものです。

“Growing.” It is “grow” with an “i-n-g” on the end.
『成長』 それは Growの語尾に“ing”を伴う『成長過程である、成長していること』です。

It is a process.
プロセスです。

It can take time.
時間がかかるものです。

It can be hard to see any progress.
進歩したのかどうか、わからない時もあります。

And that can lead to feelings of frustration and even disappointment.
それは私たちに行き詰まりや失望さえ与える時もあります。

What is faith?
信仰とは何でしょう?

We could say that faith is believing.
信仰とは信じること、と言えるでしょう。

We could say that faith is trusting.
信仰とは信頼すること、とも言えるでしょう。

So, if you say: “I have faith in this.” it means that you believe in it. You trust it.
だから、「私はこれに信仰があります」と言うことは、それを信じます、それを信頼します、という意味になります。

In fact, in English, the word “faith” can be used to mean “believe in” and “trust.”
英語では、『信仰』という言葉は『存在を信じる』、『信頼する』という意味を含みます。

So, if I am going to fly from Japan to Australia, and I trust that the plane won’t fall out of the sky, then I can say that I have faith in the plane.
もし私が日本からオーストラリアに飛行機で行くなら、私は飛行機が墜落することはないと信頼しているので、私は飛行機に「信仰を持っている」と言うことができます。

On the other hand, I don’t think that my 13 year old bike would get me to Tokyo.
一方で、13年乗り続けている私のバイクが東京まで運んでくれるとは思えません。

It would probably break down before it even gets to Kuwana!
きっと桑名に着くまえにバイクは壊れてしまうでしょう!

So I could say that I don’t have faith in my bike.
だから私は、『私のバイクに信仰を持っている』とは言えません。

In the same way, if I was in hospital about to have major surgery, I would want to be sure that my doctor was able to do the surgery safely and successfully.
同様に、もし私が命にかかわる外科手術を受けるために病院にいたら、主治医の先生が安全に首尾よく手術を行ってくれると信じたいでしょう。

I would want to have faith in my doctor.
私は主治医の先生に信仰を持ちたいでしょう。

If I didn’t have faith in my doctor, then I wouldn’t submit my life into his hands for that operation.
もし私が主治医の先生に信仰を持てないなら、彼のやる手術に私の命をゆだねることはしません。

Faith involves believing in, trusting something, or someone.
信仰は、『何か、または誰かの能力を信じること』とまた『信頼すること』を含みます。

Therefore, the object of faith must be worthy of this belief that is being put in it.
それゆえ、信仰の対象はそこに希望を託すことに値するべきものでなければならないのです。

The object of this faith must be able to meet the expectations of this trust.
この信仰の対象は信頼の期待を満たしうるものであるべきなのです。

Well, then, what does having faith in God really mean?
それでは、神に信仰を持つことの本当の意味は何でしょう?

When I say: “I have faith in God.” then according to our definition, what we mean is that we believe in God. We trust God.
『私は神に信仰を持ちます』と言うとき、定義によると、それは『神様の能力を信じ、信頼します。』という意味になります。

That is what people probably think when they say that they have faith in God.
神様を信じています、と人々が言うときに、その人たちはそのように考えているのです。

But what does that actually mean?
でも、本当にそのような意味なのでしょうか?

What is the actual truth behind this statement?
この言葉の背後にある真実は、実際どうなのでしょうか?

When a person says that they have faith in God, what is the object of their faith?
人が『神を信じます。』と言うとき、信仰の対象は何なのでしょうか?

Of course, the answer is that the object of faith in God is God!
もちろん、神様への信仰の対象の答えは、神様そのものです。

That sounds obvious!
明らかなことです!

However, while many people say that they have faith in God, the object of their faith is not always God.
しかし、多くの人々が神様への信仰を持つというとき、彼らの信仰の対象はいつも神様であるとはかぎりません。

Really!
本当です!

People say: “I believe in God.”
人々は『私は神様を信じます。』と言います。

Then a problem occurs.
そこで問題が起こります。

They say: “I believe in God, so I am ok.
彼らは『私は神様を信じます。だから私は大丈夫です。』と言います。

I am holding onto God.
私は神様にしがみついています。

I am holding onto God and my faith stops me from falling.”
私は神様にしがみついています。その信仰が私を支えているのです。

But there is a problem here!
しかし、ここに問題があるのです。

There is a problem with this kind of faith.
このような信仰には問題があります。

The problem is that the object of this faith is misplaced.
その問題とは信仰の対象が誤った場所にある、ということです。

If you say that you are ok because you are holding onto God, then the object of your faith is not God.
もしあなたが神様にしがみついているから大丈夫だと言うなら、あなたの信仰の対象は神様ではありません。

The object of your faith is actually your faith!
あなたの信仰の対象は、実はあなた自身の信仰となってしまっているのです!

“I believe.”
『私は信じます。』

I am ok.
『私は大丈夫です。』

I am strong because I am holding onto God.
『私は強いです。なぜなら私は神様にしがみついているからです。』

But what you are actually holding onto there is your faith in God.
しかし、本当は、しがみついているものは神様に対する自分の信仰です。

Are we strong enough to hold onto God?
私たちは神様にしがみつく力を十分に持っているでしょうか?

Are you strong enough to hold onto God?
あなたはずっと神様にしがみつけるほど強い存在ですか?

I remember a movie a couple of years ago called Cliff Hanger.
数年前に観た『クリフハンガー』という映画を思い起こします。

In the opening scene, some people were climbing a mountain.
オープニングのシーンで、何人かの人々が山に登っていました。

One man slipped, and he was about to fall when his friend grabbed his hand and stopped him.
そのうちの一人が足を滑らせ、危うく落ちそうになります。そのとき彼の友達が彼の手をつかみ、彼を助けます。


They held onto each other’s hands.
彼らは互いの手を離しませんでした。

Below them was a fall of several hundred meters.
彼らの下には数百メートルの絶壁がありました。

Falling would be certain death.
転落したらまちがいなく死んでしまうでしょう。

Life depended on being strong enough to hold on.
その命は「しがみつく強さ」にかかっていました。

So, as the first man dangled from the top of the cliff, both men held onto each other for the sake of life!
一人が崖にぶら下がり、もう一人が手を握り、命のために必死に互いにしがみついていました。

It was like the TV advertisements for Taiyo seiyaku:
「ファイット、いっぱあつ!」
大正製薬の「ファイト、一発!」のコマーシャルのようなシーンでした。

So, what happened next?
さて、その後どうなったのでしょう?

Well, I am sorry if you were expecting a happy ending!
ハッピーエンドを期待していたら、ごめんなさい。

Neither man wanted to let go.
どちらの男も離したくありませんでした。

Both men wanted to hold on.
どちらの男もしがみついていたかったのです。

Both men used all their strength to hold on.
どちらの男も全力でしがみついていました。

But in the end, neither of them was strong enough.
しかし最後には、どちらも力が足りませんでした。

In spite of themselves, they couldn’t hold on.
残念ながら、手をつなぎ続けることはできませんでした。

And the man fell to his death.
ぶら下がっていた男は、死に向かって落ちていきました。

I didn’t enjoy that movie!
私はこの映画を楽しめませんでした。

The truth is that we are not strong enough to hold onto God!
事実、私たちは神様にしがみつく力を持っていません。

I think that is why we can get so disappointed.
だから私たちは失望することがあるのだと思うのです。

You see, it is one thing to say you have faith in God;
神様を信じていると言っても良いかもしれません。

But if you look for strength and hope by focusing on your faith, then you will inevitably be confronted by the weakness of your faith.
しかし、もしあなたの信じる力、しがみつく力に焦点を当てて強さと希望を見出そうとしたら、必ずその弱さに、あなたは脅かされることでしょう。

And when the object of our hope fails, then our disappointment is deep.
そして私たちの希望の対象が役に立たない、はかないものであると知る時、私たちの失望は深いものとなります。

That is why it is so important to make sure of what we mean by having faith in God.

だからこそ、神様を信じると意味を確かめることはとても大切なのです。

It is right to believe in God.
神様を信じることは正しいことです。

It is right to trust in God.
神様を信頼することは正しいことです。

That is because God is worthy of this belief that is being put in Him.
神様は信頼を託すのに値するお方だからです。

God is able to meet the expectations of our trust.
神様は私たちの信頼の期待に答えることができるお方です。

Therefore, when we believe in God, when we put our trust in God;
それゆえ、私たちが神様の能力を信じるとき、神様に信頼をおくときに、

We must be certain that it is actually God Himself whom we are making the object of our faith.
私たちの信仰の対象は、神様そのものであると確認する必要があるのです。

Not our faith itself.
私たちの信仰そのものに、ではありません。

It is not our belief, our trust in God, that makes us ok.
私たちの信じる力、信頼する心が私たちを大丈夫にしてくれるのではないのです。

It is not our actual faith in God that stops us falling.
私たちの信じる力、信頼する心が、私たちが落ちていくことを助けてはくれないのです。
In fact, it is not simply our faith that saves us.
そうです、私たちを救うのは、私たちの信じる力、信頼する心ではないのです。

“Wait!! Stop!!” I hear you scream!
『ちょっと待ってください‼』・・・とあなたは言うでしょう。

Didn’t Jesus say to the leper:
ハンセン病の患者にイエス様はそんなことを言いませんでしたよね。

  • "Rise and go; your faith has made you well." (Luke 17:19)
    それからその人に言われた。「立ち上がって、行きなさい。あなたの信仰が、あなたを直したのです。」(ルカ17章19節)

And doesn’t Luke record:
ルカもそのようなことは書き記していませんよ。

  • Jesus said to the woman, "Your faith has saved you; go in peace." (Luke 7:50)
    しかし、イエスは女に言われた。「あなたの信仰が、あなたを救ったのです。安心して行きなさい。」(ルカ7章50節)

Yes! But the point is that Jesus was recognizing (
認めている?)those people’s faith in Himself.
その通りですが、ここで大事なことは、イエス様が、彼らのイエス様ご自身への信仰を認めていたことです。

Those people had made it clear that they believed and trusted that it was Jesus who is the One who was able to help them.
この人たちは、彼らを救うことができるのはイエス様だけだと信じ、信頼していることをはっきりとさせていました。

Jesus was clearly the object of their faith.
イエス様こそが彼らの信仰の対象であったことは明らかでした。

Luke summarizes this for us in Acts 10:43.
ルカは使徒の働き1043節で次のように述べています。

  • All the prophets testify about him that everyone who believes in him receives forgiveness of sins through his name." (Acts 10:43)
    イエスについては、預言者たちもみな、この方を信じる者はだれでも、その名によって罪の赦しが受けられる、とあかししています。」(使徒の働き10章43節)


Just before, I mentioned about the need to trust in a doctor who is going to treat you.
少し前に、私はあなたを治療する予定のお医者さんを信頼する必要性を述べました。

When you are sick, doctors can give you medicine.
病気の時、お医者さんはあなたに薬を与えることができます。

Doctors also operate directly to heal patients of their problems.
お医者さんは患部の痛みを癒すために手術をすることもあります。

But when we put our trust in the doctor, it is not our trust that makes us better.
しかし、私たちがお医者さんに信頼すること自体が、私たちを治すのではありません。

It is the work of the doctor and the work of the medicine that the doctor uses.
私たちを治すのはお医者さんの作業であり、処方された薬の働きなのです。

When it comes to the problem of our sin before God;
神様の前にある私たちの罪のこととなると、

And for all the problems that we experience in life that we are not able to overcome ourselves;
私たちの人生で、自分たちでは克服することのできない問題に関しても

For the unavoidable problem of our own death, and the death of our family and friends;
避けることのできない自分自身の死や、家族や友人の死という問題に関しても、

Jesus is both the doctor and the medicine!
イエス様が医者であり、それを解決する薬なのです。

He is worthy of our trust.
イエス様は私たちが信頼を置くに値するお方です。

Therefore, what
we can do is believe in and trust God;
だから、私たちができることは神様の能力を信じ、神様を信頼することです。

But it is, of course,
God, who does the work of saving and healing.
しかし、救いと癒しの働きをなさる方は神様なのです。

It is God who is holding onto us!
私たちを離さずしがみついているのは神様のほうなのです!

God won’t let go of us.
神様は私たちを離してしまうことは決してありません。

He is able to meet the expectations of our trust.
神様は私たちの信頼の期待を応えることができる方です。

God won’t leave us disappointed.
神様は私たちを失望させることはしません。

God is worthy of our faith.
神様は私たちが信じるに値するお方です。

In the Old Testament, the prophet Zephania declared:

旧約聖書で、預言者ゼパニアはこのように告白しました。

  • The LORD your God is with you, he is mighty to save. He will take great delight in you, he will quiet you with his love, he will rejoice over you with singing." (Zephania 3:17)
    あなたの神、【主】は、あなたのただ中におられる。救いの勇士だ。主は喜びをもってあなたのことを楽しみ、その愛によって安らぎを与える。主は高らかに歌ってあなたのことを喜ばれる。
(ゼパニヤ3章17節)


Have you ever thought that God, the creator of our immeasurable universe, rejoices over you with singing?
計り知れない全宇宙の創造主である神様が、あなたのことを歌って、大いに喜んでいると考えたことがありますか?

Do you really understand that God takes great delight in you.
神様があなたの存在を大変喜んでいらっしゃると本当に理解していますか?

It is the absolute assurance of this personal, very intimate, and unfailing love that takes away our fears.
その愛はあなたのもので、とても親密な、尽きることのない愛です。その愛の確信は私たちから恐れを取り除きます。

This is what brings quiet peace to our hearts.
その確信は私たちの心に静かな平安をもたらします。

Faith is our belief in, our trust in, our assurance of, what God has done, what God does do, for us.
信仰とは、神様がなさったこと、私たちのためにしてくださることを信じ、信頼し、確信することです。

God is worthy of that faith.
神様は信じるに値するお方です。

The Samaritan woman at the well in John 4 had no assurance of how the people in the town would react to her.
ヨハネの福音書4章で語られる井戸のそばにいたサマリアの女は、町の人々が彼女に対してどのように反応するのか、わからないでいました。

Would they listen to her?
彼らは彼女を相手にするでしょうか?

Would they accept what she said?
彼らは彼女の言うことを受け入れるでしょうか?

Or would they ignore and reject her?
それとも、彼らは彼女を無視し、彼女を拒絶するでしょうか?

She had no way of knowing.
彼女にはそれを知る方法はありませんでした。

But that didn’t stop her.
しかし、そのことは彼女を妨げませんでした。

Fear of not knowing how people would treat her did not control her.
「人々が自分にどう反応するかわからない」という恐れに、彼女は支配されませんでした。

The very real possibility of rejection did not deter her.
拒絶される可能性はありましたが、それでも彼女は人々に向かって行きました。

Her focus was not on whether or not other people would accept her.
彼女の関心ごとは、他の人々が自分を受け入れるかどうか、ということではありませんでした。

Her purpose for going to the town was not to gain acceptance from other people.
彼女が町へ行くことの目的は、他の人々からの受け入れられることではありませんでした。

She had originally gone to the well to get water to drink.
彼女はもともと飲み水を得るために井戸に行っていました。

But when she met Jesus, she left her water pot and ran back into the town to call everyone there to come to the well:
しかし、彼女がイエス様に会ったとき、彼女は壺を置いたままして、井戸に人々を連れて来るために町へと戻りました。

Not to get water from the well;
それは井戸から水を得るためでなく

but the water of life from Jesus.
イエス様から命の水をいただくために

Earlier, Jesus had told the woman:
最初に、イエス様はこの女に言いました。

  • "…whoever drinks the water I give him will never thirst. Indeed, the water I give him will become in him a spring of water welling up to eternal life." (John 4:14)
    しかし、わたしが与える水を飲む者はだれでも、決して渇くことがありません。わたしが与える水は、その人のうちで泉となり、永遠のいのちへの水がわき出ます。」(ヨハネ4章14節)

Her initial response to this was to ask Jesus for some of that water, just so that she wouldn’t have to keep going back to the well there.
これに対する彼女の最初の反応は、井戸の中にある水を意味していて、「決して乾かない」水なら、もうこの井戸に来なくても良いように、イエス様が提供する水をいただきたいと思いました。

But during her short meeting with Jesus, she came to believe in Him.
しかし、イエス様と出会った短いひと時の間に、彼女はイエス様を信じるようになりました。

She dared to trust Him.
彼女はイエス様を思い切って信頼しました。

And now she is eager for the people around her to do the same.
そして今、彼女は周りの人々も同じようにすることを強く願っています。

Her belief in Jesus filled her mind with compassion.
イエス様を信じることによって、彼女は思いやりで心が満たされました。

Her trust of Jesus filled her heart with courage and hope.
イエス様を信頼することによって、彼女は勇気と希望で心が満たしました。

A sudden change has taken place within this woman.
突然の変化がこの女に起こりました。

She now has this life - this spring of living water, overflowing within her.
彼女は今、新しい命を持ちました。彼女の中に命の水の泉があふれているのです。

Had she suddenly become a good person?
彼女は突然良い人になったのでしょうか?

No. That is not what we are being taught here.
いいえ。ここで話しているのはそんなことではありません。

This woman still needed to grow.
この女はまだまだ成長する必要があったでしょう。

Like learning a new language, some things can take a long time to change.
新しい言語を学ぶように、変化するためには長い時間がかかります。


And there were no doubt many things in this woman’s life that needed to be changed.
間違いなく、まだまだ多くのことが彼女の人生の中で変わる必要があったと思います。

But what are these changes based on?
では、この変化は何に基づくものでしょう?

What causes this growth?
この成長の原因は何でしょう?

How does growth in faith take place?
信仰の成長はどのようにして起こるのでしょう?

True growth can only be built on the foundation of faith.
真の成長は信仰の基礎の上に建てられるものです。

That is why it is so important to make sure of the object of your faith.
だから、自分の信仰の対象を確かめることがとても大切なのです。

Growth does not come from belief and trust in the strength of your faith itself.
成長は自分自身の信仰の強さや、信頼する心によるものではありません。

This is looking for hope as you try to hold onto God.
それはあなたが神様にしがみついて希望を自分自身で見出そうとすることだからです。

Growth comes through belief in and trust of the strength of God.
成長は神様の強さを信じ、信頼することを通して生まれます。

This is actually experiencing hope as you trust that God is holding onto you!
これは「神様があなたを離さない」ということを、あなたが本当に信頼するときに経験する希望です。

That is why the writer to the Hebrews exhorts us:
ヘブル人への手紙の著者が私たちに熱心に勧めています。

  • Let us fix our eyes on Jesus, the author and perfecter of (our) faith, who for the joy set before him endured the cross, scorning its shame, and sat down at the right hand of the throne of God. (Hebrews 12:2)
    信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さないでいなさい。イエスは、ご自分の前に置かれた喜びのゆえに、はずかしめをものともせずに十字架を忍び、神の御座の右に着座されました。(ヘブル12章2節)

Fix your eyes on Jesus.
イエス様から目を離さないでいなさい。

Growing in faith is a process.
信仰の成長は一つの過程、プロセスです。

It can take time.
時間がかかるものです。

But when God is the object of that faith,
しかし、神様がその信仰の対象であるなら

then no matter what happens, we can have absolute security
どんなことがあっても、私たちは完全な安心を持ち続けることができるのです。

because we have the assurance that it is God who holds onto us.
なぜなら、私たちは神様が私たちを離さないという保証を持っているからです。

And He will never disappoint us.
そして神様はけっして私たちを失望させません。

Let’s pray.


Father God,
天のお父様、

There are many things in life that we wish were different.
私たちの人生の中、あれ、これが違ったらいいのに、と思うことが多いです。

There are many things about ourselves that we would like to change.
自分の中に変えたいところも沢山あるでしょう。

Sometimes we feel that things are going well.
時には、物事がうまくいっているように感じます。

But at other times, no matter how hard we try, and no matter how much we hope, we still always run into problems that we cannot fix.
しかし、いくら頑張っても、どう望んでいても、どうしても解決のできない問題にぶつかってしまう時があります。

We so often seem to get stuck at the same place.
よく、同じところにつまずいたりして、

And we get left with feelings of shame, guilt, and hopelessness.
結局恥、罪悪感、失望感でいっぱいになってしまいます。

Father God, today, I ask that You be our hope.
主よ、今日、あなたが私たちの希望となってください。

Help us to really take hold of the truth that You are able to do what we cannot do.
私たちができないことを、あなたがおできになるという真実を私たちが本当に掴み取ることができますように助けてください。

You are the giver of life.
あなたは命の与え主です。

You have provided Jesus to give us life.
私たちに命を与えるためにイエス様を与えてくださいました。

Jesus, You hold the answers to our problems;
イエス様、私たちの問題の解決をあなたが持っておられます。

the healing for our hurts;
私たちの傷の癒し

the peace for our present;
今、私たちが求めている平安

and the hope and strength for our future in Your hands.
そして、将来のための希望と力をあなたの御手の中に抱いています。

So, please help us to put our hope in You
どうか、私たちの希望をあなたに置くことができるように助けてください。

because You are strong
あなたは強いお方です。

and no matter what happens, You won’t let us go.
だから何があっても、あなたは私たちを絶対に離す事はありません。

In Jesus’ Name,
イエス様のお名前によって祈ります

Amen
アーメン