Genesis 4:3-7 In the course of time Cain brought some of the fruits of the soil as an offering to the LORD. But Abel brought fat portions from some of the firstborn of his flock. The LORD looked with favor on Abel and his offering, but on Cain and his offering he did not look with favor. So Cain was very angry, and his face was downcast. Then the LORD said to Cain, "Why are you angry? Why is your face downcast? If you do what is right, will you not be accepted? But if you do not do what is right, sin is crouching at your door; it desires to have you, but you must master it." 創世記4章3節〜7節 ある時期になって、カインは、地の作物から【主】へのささげ物を持って来たが、 アベルもまた彼の羊の初子の中から、それも最上のものを持って来た。【主】はアベルとそのささげ物とに目を留められた。 だが、カインとそのささげ物には目を留められなかった。それで、カインはひどく怒り、顔を伏せた。 そこで、【主】は、カインに仰せられた。「なぜ、あなたは憤っているのか。なぜ、顔を伏せているのか。 あなたが正しく行ったのであれば、受け入れられる。ただし、あなたが正しく行っていないのなら、罪は戸口で待ち伏せして、あなたを恋い慕っている。だが、あなたは、それを治めるべきである。」
Cain and Abel were brothers. カインとアベルは兄弟でした。
They were also both farmers. そして 二人とも農夫でした。
Cain grew crops, and Abel raised sheep. カインは穀物を育て、そして弟のアベルは羊を育てていました。
God had given them the freedom to do different things! 神は 違う事をする自由を彼らに与えました。
Last time we met here, we read that they both made an offering to the Lord God. 先月の集まりで カインとアベルの二人が主なる神に捧げものをしたところを 皆さんと一緒に読みました。
Let’s read what happened again. 何があったかもう一度読んでみましょう:
In the course of time Cain brought some of the fruits of the soil as an offering to the LORD. ある時期になって、カインは、地の作物から【主】へのささげ物を持って来たが、
But Abel brought fat portions from some of the firstborn of his flock. The LORD looked with favor on Abel and his offering, アベルもまた彼の羊の初子の中から、それも最上のものを持って来た。【主】はアベルとそのささげ物とに目を留められた。
but on Cain and his offering he did not look with favor. So Cain was very angry, and his face was downcast. (Genesis 4:3-5) だが、カインとそのささげ物には目を留められなかった。それで、カインはひどく怒り、顔を伏せた。(創世記4章3節〜5節)
The brothers were no doubt both hard workers. きっと兄弟は二人とも勤勉な働き手だったと思います。
But as we have confirmed, the content of their offerings should have had no connection to their jobs. しかし先回確認した通り、彼らの捧げ物の中味と彼らの仕事を関連づけるべきではありませんでした。
It was not relevant that Abel raised sheep and Cain grew crops. アベルが羊を育てそしてカインが穀物を栽培したこととは無関係でした。
So the things that they offered to the Lord God should not have been directly linked to what they each raised as farmers. つまり、彼らが主なる神に捧げた物と各々が農夫として何を育てていたかは直接結びつけられるべきではありませんでした。
Therefore, the reason that Abel’s offering was accepted was not because he raised sheep. ですから、アベルの捧げものが神に受け入れられたのは彼が羊を育てていたからではありません。
And the reason that Cain’s offering was rejected by the Lord God was not because he grew crops. そしてカインの捧げものが主なる神に認められなかったのは彼が育てたのが 穀物だったからではありません。
Their work itself was not the focus of God’s attention. 彼らの仕事自体に神の目が向けられた訳ではありません。
That is not what God was seeking from them. それは 神が彼らに求めたことではありませんでした。
Rather, we are told that Abel’s sacrifice was superior, that it was accepted, because of his faith. そうではなく、信仰によってアベルはカインよりもすぐれた生贄を神に捧げ それが神に受け入れられたと私達は教えられました。
By faith Abel offered God a better sacrifice than Cain did. By faith he was commended as a righteous man, when God spoke well of his offerings. (Hebrews 11:4a) 信仰によって、アベルはカインよりもすぐれたいけにえを神にささげ、そのいけにえによって彼が義人であることの証明を得ました。神が、彼のささげ物を良いささげ物だとあかししてくださったからです。(ヘブル11章4節)
So if we turn this around, Cain’s offering was not accepted because there was a problem with Cain’s faith. 角度を変えて見れば カインの信仰に問題があったため彼の捧げものは受け入れられなかったということです。
Here is the issue, then, that we must therefore now confirm. そこで 私達がここで確認しなければならない問題が生じます。
What was this faith that Abel had but Cain did not have? アベルにあってカインには無かったこの信仰とは何だったかという事です。
What was this faith regarding? この信仰は何に関係したものでしょうか?
What was it based on? 何に基づいたものでしょうか? I want to spend some time going over what we looked at last month; ここで少々時間を割いて先月見たことを復習してみたいと思います; because this holds the key to understanding what we are focusing on today. というのは、そのことが今日私達が焦点を当てようとしていることを理解する うえで重要な鍵を握っているからです。
Cain and Abel’s parents were Adam and Eve. カインとアベルの両親はアダムとイヴでした。 God had created them in His own image. 神は彼らを神の姿に似せて造られました。
One aspect of this means that God created Adam and Eve to reflect His own glory. これはある一面、神がアダムとイヴをご自身の栄光を反映するように造られた ことを示しています。
God is perfectly holy and perfectly just. 神は完全に聖なるそして完全に公平なお方です。 God is perfect love. 神は完全な愛です。 So people were created to reflect God’s perfect holiness, justice and love in their own lives. そこで人間は神の完全な神聖さ、正義、そして愛を彼らの心の中に反映 するように造られました。
God’s perfect holiness, justice and love covered them like clothing. 神の完全なる神聖さ、正義、そして愛が着物のように彼らを覆いました。
Therefore, when Adam looked at Eve, and when he looked at himself, what he saw was God’s perfect holiness, justice and love reflected in each of them. 従って、アダムがイヴを見た時そして自身を見たとき彼が見たのはそれぞれに映し出された神の完全な神聖さ、正義、そして愛でした。
And Eve saw the same when she looked at Adam and herself. そしてイヴがアダムと彼女自身を見た時、彼女も同じものを見ました。
She also saw God’s perfect holiness, justice and love. 彼女もまた神の完全なる神聖さ、正義、そして愛を見ました。
They were both covered with God’s glory. 彼等は二人とも神の栄光に覆われていました。
God placed Adam and Eve in the Garden of Eden. 神はアダムとイヴをエデンの園に置かれました。
God gave them everything that grew in the Garden for food. 神は園の中で育った全ての物を彼らに食べ物として与えました。
Therefore, God gave them freedom of choice. ですから神は彼らに選択の自由を与えたのです。
This choice was based on their personal taste. この選択は彼らの個人的な好みに基づくものです。
Adam and Eve could choose what they wanted, when they wanted. アダムとイヴは欲しいものを欲しい時に選べました。
And of course, they could choose different things from each other. そして勿論彼等はお互いに異なるものを選ぶことが出来ました。
That was based on their personal taste. それは彼らの個人的な好みに基づいた選択でした。 Adam could choose what he wanted, and Eve could choose something different. アダムは彼が望むものを選びイヴは別のものを選ぶことが出来ました。 And that was fine. それで問題ありませんでした。
It was not a matter of being right or wrong. それは正しいとか悪いとかいう問題ではありませんでした。
They could be different from each other. 彼らはお互いに違っていてよかったのです。
God was giving His blessing for them to be different to each other. 神は彼らがお互い違っていることに祝福を与えました。
But they would still reflect God’s glory. たとえ違っていても彼らは依然として神の栄光を反映するでしょう。
However there was another choice that God gave to Adam and Eve. しかし、神がアダムとイヴに与えた選択がもう一つありました。
This choice wasn’t based on their personal taste. この選択は彼らの個人的な好みに基づくものではありません。
God told them that they must not eat from the Tree of the Knowledge of Good and Evil, or they would surely die. 神は善悪の知識の木から実を取って食べてはならない、もし食べたら必ず 死ぬ、と彼らに告げました。
God is perfect in holiness, justice and love. 神はその神聖さ、正義、そして愛において完全なお方です。
So, when God commanded Adam and Eve to not eat from that tree, it was a command based on God’s holiness, justice and love. ですから神があの木から食べてはいけないとアダムとイヴに命じたのは 神の神聖さ、正義、そして愛に基づいたものでした。
And so trusting what God said about that particular tree would mean that Adam and Eve were acknowledging God’s holiness, justice and love. そしてあの特別な木について神が言われたままに信じることはアダムと イブが神の神聖さ、正義、そして愛を認めていたことになります。
They were respecting God’s holiness, justice and love. 彼等は神の神聖さ、正義、そして愛を重んじていました。
As a result, they themselves would be reflecting God’s holiness, justice and love in their own lives. それは結果として、神の神聖さ、正義、愛を彼ら自身の命の中に反映することになります。
And by reflecting God’s glory like this, Adam and Eve themselves would experience the ultimate fulfillment in their own lives. そしてこのような形で神の栄光を表すことによってアダムとイヴの心は完全に満たされます。 However, rather than forcing them to be like that, God wanted Adam and Eve to personally desire this themselves. しかし、そうなるように彼らに強要するのではなくアダムとイヴが自ら進んでこのことを求めるように神は望まれました。
God wanted them to willingly (joyfully) respond to God because of who God is, and because of who they were. 神は彼らの創造主であり彼らは神に造られたが故に彼等が喜んで神の求めに応えることを望まれました。
That is why God put that tree in the center of the garden and told them not to eat from it. だから神はあの木を園の中央に植えられ彼等にその木から実を取って食べてはいけないと仰せられたのでした。
Choosing to obey God meant that Adam and Eve had chosen to be covered by God’s holiness, justice and love. 神に従う事を選ぶということはアダムとイブは神の神聖さ、正義、そして愛 で覆われることを選んだことを意味します。 If they chose to obey God, God Himself would be reflected in their lives. もし神に忠実に従う事を選べば神ご自身が彼らの心に映し出されるでしょう。
They would have God’s glory within them. 彼等の中に神の栄光を持つことになります。
That was good. それが善でした。
However, choosing to not obey God meant choosing to not be covered by God’s holiness, justice and love. しかし、神の言いつけを守らない選択をすれば神の神聖さ、正義、そして愛の庇護を受けない道を選ぶことを意味しました。
If they chose to not obey God, then God would be no longer reflected in their lives. もし神に従わないと決めたらもはや神は彼らの心の中に映し出されることはありません。
God’s glory would not be with them. 神の栄光は彼らと共にありません。
That was evil. それは悪です。
That’s why this was not a choice based on personal taste. ですからこれは個人の好みに基づいた選択ではありません。
This was a moral choice. これは倫理上の選択です。 In the end, as you know, Adam and Eve did eat from that tree. ご承知の通り、結局アダムとイブはあの木から実を取って食べてしまいました。 Then, when Adam and Eve looked at each other, and when they looked at themselves, what did they see? それでは アダムとイブがお互いを見た時、そして自身を見た時、彼等は何を見たのでしょうか?
They saw themselves without God’s holiness, justice and love. 彼等は神の神聖さ、正義、そして愛で覆われていない自分を見ました。
They saw each other without God’s glory. 神の栄光に包まれていないお互いを見ました。
They realized that they were naked. 自分たちが裸であることに気付きました。 And they were suddenly filled with shame; そして突如恥ずかしさで一杯になりました。
they were filled with fear. 恐怖の念に襲われました。
So they covered their naked bodies with fig leaves. そこで彼らはイチジクの葉でつづり合わせたもので裸体を覆いました。
They hid. 彼等は隠れました。
But they were naked even before they had eaten from the forbidden tree. しかし、禁断の木から実を取って食べる以前から既に彼らは裸でした。
They had always been naked. 彼等はいつも裸だったのでした。
That hadn’t changed. そのことが変わることはありませんでした。
It wasn’t their physical nakedness that was the sudden cause of their shame. 突然恥かしさを覚えたのは彼らが物理的に裸だったからではありません。
That was only superficial. それは単に外見上のことです。
They had covered their bodies, 彼等は身体を覆いました。
but that was not the real problem. けれども本当の問題はそんなことではありませんでした。
The real problem was that their hearts were now exposed… 真の問題はいまや彼らの心の中が露わにされたことです。
because they had lost the covering of God’s glory. なぜなら彼らは神の栄光の覆いを失ってしまったからです。
In fact, rather than passively just losing God’s glory, they had purposefully removed it. 実は、彼らは神の栄光をただ失ったというより、むしろはっきりとした目的を持って自らそれを取りはずしたのです。
Their motivation for eating that forbidden fruit was that they had come to desire glory for themselves. 神により禁じられた果物を食べた動機は、彼等が自分の栄光を求めるように なったからでした。
They wanted to have holiness, justice, and love, 彼等は神聖さ、正義、そして愛を持つことを望みました、
but they had been deceived into thinking that they could obtain it without God. けれども彼らはそれを神によらないで手に入れることが出来ると思い違いを してしまいました。
However, it was God who had covered Adam and Eve’s shame and guilt. しかし、アダムとイヴの恥辱と罪を覆われたのは神でした。
Not superficially with plants; 継ぎ合わせた葉っぱで表面を覆い隠すのではなく
but with garments that God provided. 神が与えられた着物で覆われました。
Those garments were made from the skins of animals. これらの着物は動物の皮で作られました。
Those animals were not guilty of anything; その動物は何の罪も犯していませんでした。
but their lives were sacrificed in order to cover the guilt of Adam and Eve. しかし彼らの命はアダムとイブが犯した罪の贖いのために犠牲にされました。
And it was God Himself who sacrificed them. そして彼らを生贄として捧げられたのは神ご自身でした。
So, let’s return to Cain and Abel now. ここでカインとアダムの捧げものを見てみましょう。
Abel’s offering to the Lord God had been based on his faith. アベルの主なる神への捧げものは彼の信仰に基づいていました。
Abel’s faith was based on what God had done. アベルの信仰は神がしてくださったことに基づいていました。
Abel offered the fat portions of a newborn lamb. アベルは彼の羊の初子の中から最上のものを持ってきました。
Abel sacrificed that lamb in remembrance of the sacrifice of the innocent life that God had sacrificed. 神が生贄として罪の無い命を捧げられたことを覚えてアベルはあの子羊を 捧げました。
Abel was showing that he recognized that the sacrifice that God had made was for him. 神が捧げられた犠牲はアベルの為だったと彼が認めた事を態度で示しました。
So, the offering that Abel had made was an offering of thanksgiving. ですからアベルが捧げた物は感謝の気持ちを表わすためのものでした。 Cain's offering, on the other hand, showed that he did not understand about the sacrifice that God had made. 他方、カインの捧げものは神が捧げられた犠牲の意味を彼が理解していなかったことを示していました。 He did not understand that he was a beneficiary of that sacrifice. 神が払われた犠牲の受益者が自分であるという事が彼には分かりませんでした。
He did not realize that he was the beneficiary of that sacrifice. その犠牲がもたらす利益の受取人が自分だということに彼は気付きませんでした。
He did not understand that he needed to receive the covering which the sacrifice would provide for him. その犠牲によって与えられる覆いを受け取る必要があったということを彼は理解 していませんでした。
Instead, the offering that Cain had made to the Lord God was an appeal to what he himself had done. そうではなく、カインが主なる神に捧げたものは自分がしたことをアピール するためでした。
As we saw last time, Cain should have known the meaning and the purpose of the sacrifice that God had made. 先回見た通り、カインは神が捧げられた犠牲の意味と目的を知るべきでした。
That is why, when Abel made his offering off the sacrificed Lamb, it was described as a demonstration of his faith. だからこそアベルが子羊を屠って捧げた事が彼の信仰の表れと認められたのです。
But in spite of this, Cain decided to make an offering according to his own way. それにもかかわらず、カインは自分のやり方で捧げものをしようと決めました。
Therefore, instead of being an offering of Thanksgiving for what God had done, Cain was turning the spotlight to what he had done. ですから神がして下さった事に感謝を表すための捧げものではなく、カインは自分がしたことにスポットライトを向けたのでした。
And in response to offering what he had done, Cain‘s expectation was that he would be acceptable to God. そしてカインの捧げものに応えて、神が彼を受け入れて下さる事を期待しました。
Cain was seeking to do a trade with God. カインは神との取引を求めました。
But this was not a request to receive the covering of God’s glory; 然しこれは神の栄光の覆いを受けるための要求ではありませんでした。
instead, it was an appeal to Cain’s own glory. それどころか、それはカインが自分の栄光を求める訴えでした。
And that is the reason that Cain became very angry when his offering was rejected. 自分の捧げものが拒絶された時にカインがひどく怒ったのはそのためです。
In a word, he had put his hope in his own glory; and his pride, therefore, had been hurt. 要するに、彼は自身の栄光に願いを託した為にプライドが傷つけられました。
That is why God responded to Cain when Cain became angry. だから神はカインが怒りをあらわにしたときそれに応えました。
Let's read what happened again: 何があったかもう一度読んでみましょう:
Then the LORD said to Cain, "Why are you angry? Why is your face downcast?
そこで、【主】は、カインに仰せられた。「なぜ、あなたは憤っているのか。なぜ、顔を伏せているのか。
If you do what is right, will you not be accepted? But if you do not do what is right, sin is crouching at your door; it desires to have you, but you must master it." (Genesis 4:6-7) あなたが正しく行ったのであれば、受け入れられる。ただし、あなたが正しく行っていないのなら、罪は戸口で待ち伏せして、あなたを恋い慕っている。だが、あなたは、それを治めるべきである。」(創世記4章6節〜7節)
Cain's anger shows really clearly that he did not understand God's love for him. カインが怒ったことは 彼に対する神の愛を彼が理解していなかったことを如実に表しています。
And it also shows that he had no idea how much he needed the grace that God was offering to him. そしてそれは 神が申し出ておられた恩寵が彼にとってどれほど必要だったかを 彼は全く分かっていなかったことをも示しています。
When God told Cain that he would be accepted if he did what was right, God was not demanding that Cain be perfect and never make mistakes; 正しく行ったのであれば受け入れられると神がカインに告げた時、神は彼が完全であり、そして決して過ちを犯さないよう求めていたのではありませんでした。
God had no expectation upon Cain that Cain would be able to be perfect in holiness, justice and love. 神は 神聖さ、正義、そして愛という点でカインが完全になれることを期待していませんでした。
That is something that was impossible for Cain. それはカインにとり不可能なことでした。
It is also something that is impossible for you and for me. それはあなたや私にとっても不可能なことです。
But that is the whole point of the sacrifice that God had made. しかしそのことこそが神が犠牲を捧げられた重要なポイントです。
So, the right thing for Cain to have done was to simply acknowledge that he needed to be covered; カインがそこで正しく行うべきだったことは 神の恩寵で覆われる必要がある ことを認め、
to understand that, like Adam and Eve, any efforts that he made to cover himself with were only superficial; アダムとイブの時と同じように自分を覆い隠そうとするいかなる努力もそれは単に外見上見えなくするだけだという事を理解し、
and therefore to accept and receive the benefit of what God had done for him. 従って自分のために神がして下さった恩恵を素直に認めて受け入れることでした。
Cain faced the continued temptation to believe in himself. カインは絶えず自分に信頼を置こうとする誘惑に直面していました。 So God was calling out to Cain with compassion. そこで、神はカインを憐れみ彼に声を掛けました。
God wanted Cain to know that He already absolutely loved Cain. 神はカインを既に無条件に愛していることを彼に知って欲しかったのです。
If only Cain would realize that, no matter how hard he tried, there was no way that he could manufacture or earn holiness, justice or love for himself. どんなに努力しても神聖さ、正義、または愛を自らの力で作りだしたり勝ち取る ことなど絶対できないという事にカインが気付きさえすれば良かったのですが。
God wanted Cain to know that He, God, had already done everything that was necessary for Cain to personally receive this covering of God’s glory – His holiness, justice and love. 神の栄光すなわち神聖さ、正義、そして愛の覆いをカインが個人的に受けるため必要な事は全て神ご自身が既にされたことをカインに知って欲しかったのです。
This is what Jesus spoke of in the Sermon on the Mount. これは、イエス様が山上の垂訓の中で語られた言葉です。
Jesus said: イエスは言われた:
"Blessed are the poor in spirit, for theirs is the kingdom of heaven. (Matthew 5:3) 「心の貧しい者は幸いです。天の御国はその人たちのものだから。(マタイ5章3節)
Like Adam and Eve, like Cain and Abel, God has given us the freedom to choose many things in life. アダムとイヴそしてカインとアベルに与えられたように、神は私達の人生において多くの事を選ぶ自由を私達に与えてくださいました。
However, the way into a relationship with the Lord God; しかしながら、主なる神との関係に入る道、
the way to receive the covering of God’s glory; 神の栄光の覆いを受ける方法、
the way to personally experience God’s holiness, justice and love in our own lives; そして私達の人生において神の神聖さ、正義、そして愛を直接得る方法は
is not based on our work, or our nationality, or our status in society, or our wealth, or our education, etc. etc. etc. 私達の仕事、国籍、社会的地位、富、教育等に基づくものではありません。
We cannot approach God based on what we do. 自分が何をするかを根拠に神に近づくことは出来ません。
And we cannot approach God based on our personal taste. そして自分の好みに基づいて神にアプローチすることも出来ません。
This is a moral choice. これは倫理上の選択です。
It is a choice of what the Bible calls “good” or “evil.” それは いわゆる聖書が言うところの“善”“悪”の選択です。
Jesus’ disciple Peter said of Jesus: イエス様の弟子ペテロはイエス様について次にように言っています:
For Christ died for sins once for all, the righteous for the unrighteous, to bring you to God. He was put to death in the body but made alive by the Spirit, (1 Peter 3:18) キリストも一度罪のために死なれました。正しい方が悪い人々の身代わりとなったのです。それは、肉においては死に渡され、霊においては生かされて、私たちを神のみもとに導くためでした。(ペテロ第一3章18節)
Jesus declared about Himself: イエス様はご自身について次のように宣言されています:
"I am the way and the truth and the life. No one comes to the Father except through me. (John 14:6) イエスは彼に言われた。「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません。(ヨハネ14章6節)
So, it is God who calls to us. ですから、神様が私達に呼びかけておられます。
He draws our attention to the sacrifice that God Himself made for us. 神はご自身が私達のために払われた犠牲に私達の注意を向けさせます。
He beckons us to use the free will that He has given us to choose this “good;” この“善”を選ぶために神が私達に与えて下さった自由意志を使うように、
to choose the covering of God’s glory. つまり神の栄光の覆いを選ぶようにと私達に手招きされています。
As the time of Jesus’ sacrifice drew closer, Jesus lamented the empty, superficial religion that many people had traded their faith for: ご自身が犠牲となる時が近づくにつれて、イエス様は多くの人が彼らの信仰と 交換して得た空虚で形式だけの宗教を嘆き悲しまれました。
"O Jerusalem, Jerusalem, you who kill the prophets and stone those sent to you, how often I have longed to gather your children together, as a hen gathers her chicks under her wings, but you were not willing! (Luke 13:34) ああ、エルサレム、エルサレム。預言者たちを殺し、自分に遣わされた人たちを石で打つ者、わたしは、めんどりがひなを翼の下にかばうように、あなたの子らを幾たび集めようとしたことか。それなのに、あなたがたはそれを好まなかった。(ルカ13章34節)
God is perfect in His holiness, in His justice, and in His love. 神はその神聖さ、その正義、そしてその愛において完全です。
God wants, so much, for each one of us to experience the freedom and the peace, the hope and the joy of His holiness, His justice, and His love in our own lives. 私たち一人一人がそれぞれの人生において神の神聖さ、正義、そして愛によって得られる自由と平安、希望と喜びを知ることを神は大いに望んでおられます。
We can’t make or earn these things for ourselves. 私たちはこれらのものを自分の力で作ったり稼ぐことは出来ません。
So God offers them to us as a free gift. そこで、神はそれを無償の贈り物として私達に与えて下さいます:
For the wages of sin is death, but the gift of God is eternal life in Christ Jesus our Lord. (Romans 6:23) 罪から来る報酬は死です。しかし、神の下さる賜物は、私たちの主キリスト・イエスにある永遠のいのちです。(ローマ6章23節)
Maybe you have known this for a long time; もしかしたらあなたは既にこのことをずっと以前から知っていたかもしれません。
or maybe you are hearing it for the first time today. あるいは、今日初めて聞くことかもしれません。
Whatever the case, I pray that each one of us will know the covering of God’s great love; いかなる場合でも、私たち一人一人が神の大いなる愛の覆いで護られていると 知り、
and that we will all be filled with the offering of thanksgiving for what Jesus has done for us! そして全ての人の心が、イエス様が私達のためにしてくださった事への感謝の 気持ちで満たされるよう祈ります。