Beyond the Curtain (2) 垂れ幕の向こう側(2) Romans 7:18,19, 24,25a ローマ17章18、19、24、25節
Romans 7:18,19,24,25a 18 I know that nothing good lives in me, that is, in my sinful nature. For I have the desire to do what is good, but I cannot carry it out. 19 For what I do is not the good I want to do; no, the evil I do not want to do--this I keep on doing. 24 What a wretched man I am! Who will rescue me from this body of death? 25 Thanks be to God--through Jesus Christ our Lord! ローマ7章18、19、24、25a節 18 私は、私のうち、すなわち、私の肉のうちに善が住んでいないのを知っています。私には善をしたいという願いがいつもあるのに、それを実行することがないからです。 19 私は、自分でしたいと思う善を行わないで、かえって、したくない悪を行っています。 24 私は、ほんとうにみじめな人間です。だれがこの死の、からだから、私を救い出してくれるのでしょうか。 25 私たちの主イエス・キリストのゆえに、ただ神に感謝します。
Happy new year to you all! あけましておめでとうございます。
I’m really happy to see everyone here today! Thank you so much for joining us. 今日皆さんにお会いできて本当に嬉しいです。来てくださってありがとうございます。 I hope that you have all had a good vacation time. 皆さん良いお休みを過ごされたでしょうか。 The end of last year was so busy – our family were involved in so many events. 昨年の暮れはとても忙しかったんです―うちの家族がそれはたくさんのイベントで見る側ではなくてやる側だったので。 But there was one event that I could personally just sit back and really enjoy. ですが、私がのんびりと、何もしないで、とても楽しむことができたイベントがひとつありました。 It was a children’s piano recital, and our daughter Ailie was one of the performers. 子ども達のピアノの発表会です、うちの娘アイリも出演しました。
I am “oya-baka!” ((picture))
親ばかですいません。
When I was a child, my parent’s sometimes took me to see a play or musical at the theater. 子どもの頃、両親は時々私を劇場にお芝居やミュージカルを見に連れていってくれました。 It was always exciting to arrive and sit down facing the stage. 劇場に着いてステージに向かって座るといつもワクワクしました。 Then the lights would dim, and an expectant hush would fall over the audience. そして照明が落とされて、期待に満ちた静寂が客席を包んでいきました。 All eyes firmly focused on the curtain. 全ての目が舞台の幕にくぎづけでした。 Beyond that curtain was a new world. 幕の向こうには新しい世界が待っていました。 It was a world of mystery. まだ知らない世界でした。 What was out there? 何が始まるんでしょう? The audience was filled with anticipation to see what was going to unfold. 観客は何が始まるのか楽しみでたまりませんでした。 What would the curtain reveal? 幕の向こうから何が登場するのでしょう? What would happen? 何が起きるんでしょうか?
On stage, spotlights shine brightly, ready to reveal the carefully prepared performance. 舞台の上では、スポットライトがきらめいていて、念入りに準備されてきたパフォーマンスを見せる用意が整っています。 But the audience cannot see it yet. けれども、まだ観客には何も見えません。 Their view is completely blocked. 視界は完全にさえぎられています。 A thick, heavy curtain forms a barrier. 分厚くて重たい幕がじゃまになっています。 We all try to imagine what is on the stage. 私達はみんなステージの上の物を想像しようとします。 But we can only imagine. ですが想像することしかできません。 The curtain prevents us from actually seeing what is on the other side. 幕がじゃまで向こう側に何があるのか見ることができません。 Twelve days ago, the eyes of the world were on a curtain. 12日前のことですが、世界中がある幕を見つめていました。 In each country, people waited in the dark. 色々な国で、暗闇の中待っている人達がいました。 They waited in anticipation. 期待して待っていました。 They were waiting for 12:00. 12時になるのを待っていました。 The curtain was about to be raised. その幕が上がろうとしていました。 A new year was about to be revealed. 新しい年が現れようとしていました。 What was out there? 現れたのはなんだったでしょう? 2014! 2014年です! What would the curtain reveal this year? 幕は上がりました、今年はどんな年になるでしょうか? The new year holds different meanings for different people. 新しい年は人によってそれぞれ違った意味を持っています。 For many, it is a time of anticipation. 多くの人にとっては期待の時です。 A new year seems to bring with it new possibilities. 新しい年は新しい可能性をもたらすように見えます。 There is the possibility of change: 何かが変わる可能性があります。 Work; relationships; financial or health problems; diets; difficult situations might get better. 仕事、人間関係、お金や健康の問題、ダイエットなどで、難しい状況が良くなっていくかもしれません。 The coming of a new year brings hope of new beginnings – a fresh start in life. 新しい年の訪れは、新しく何かが始まるという希望を伴います―人生における新しいスタートということです。 So a new year for many people is a symbol of hope. ですから、新しい年は多くの人にとって希望の象徴です。 What do you think will be on the stage of your life this year? 今年、あなたの人生のステージはどうなると思われますか?
But the rays of hope do not always shine into everybody’s hearts. ですが、必ずしも全ての人の心の中を希望の光が照らすというわけではありません。 Just as the sun rises in the same way that it has every other day, even though the year is new, they still wake up to the same problems. 太陽が毎日変わらず昇るように、年が新しくなっても、目覚めると問題は変わっていないということもあります。 Problems that never seem to sleep. 決して眠ることのない問題。 Problems that never let you rest. 決して私達を休ませてはくれない問題。 Positive thinking about fresh, new starts won’t make old problems disappear. 新しいスタートだからとポジティブに考えてみても、古い問題が消えることはありません。 For many people, the idea of fresh new starts no longer offers hope or strength to meet and overcome those problems. そういう人達にとって、新しいスタートだと考えてみたところで、それらの問題に立ち向かい、打ち勝つための希望や強さはもう湧いて来ません。 In fact, sometimes, there have already been so many new starts: 実際、新しいスタートというのは今までにもたくさんあったわけです。 too many starts that held hopes that ended up in disappointments; 希望を持ってスタートし失望に終わってしまったケースもたくさんありましたし too many dreams that turned into disasters. 夢がひどい結果に終わってしまったということも☆余りにもたくさんありました。 This was the story of the Samaritan woman at the well in John 4 that we have just read about. これは、先程読んだヨハネ4章にあるサマリアの女と井戸の話しです。
That day, the hot sun had risen just as it had every other day. その日も,他の日と同じように暑い太陽が昇りました。 Everyone else from her village had gathered together at the well in the cool of the morning. 彼女の村の人たちはみんな、朝の涼しいうちに井戸の所に集まりました。 The water they drew from the well would refresh their dry throats during the day; 井戸からくみ上げた水は、日中渇いたのどを潤してくれたことでしょう、 they would cook with it and fill their stomachs in the evening; 夕方にはその水を使って料理してお腹を満たしたことでしょう、 and they would wash and cleanse themselves with it at night. そして夜には、その水で体をきれいに洗ったでしょう。 The well brought the village together as a community, and its water sustained them together as families. その井戸のおかげで村人は共同体としてひとつであり、その水のおかげで家族としてひとつでした。 For the other people of the village, the well and its water were a symbol of life; その村のほかの人達にとっては、その井戸とその水はいのちの象徴でした、 they were a symbol of family and community; 家族と共同体の象徴でした、 they were a symbol of belonging. 彼らがひとつであることの象徴でした。
But not for this woman. ですが、この女にとっては違いました。 That’s because this woman didn’t belong. この女は彼らの仲間ではなかったからです。 She was an outcast. 彼女はのけ者にされていました。 It’s not as though she hadn’t tried though. 彼女が何もしなかったわけではありません。 In fact, she had tried. 事実、彼女は努力しました。 She had tried and failed. がんばりましたが失敗しました。 And then she had tried, and then failed, and then tried, but failed again. そしてまたがんばって失敗して、またがんばって、また失敗しました。 Time after time … five times (!) this woman had tried to find personal meaning, acceptance and belonging. 何度も何度も、なんと5回も!この女は自分の存在意義を見出し、受け入れられ、認めてもらえるようにがんばりました。 Five times she had married. Five times she had put her hope in a new husband. 5回、彼女は結婚して、5回、新しい夫に希望を託しました。 But each marriage had failed. Each relationship had been severed. けれども、どの結婚も失敗しました。どの関係も断たれてしまいました。 So, instead of discovering fulfillment, she only found emptiness and loneliness. そういうわけで、満たされることを知る代わりに、ただ空しさと寂しさを手に入れることになりました。
And now, without even hope of acceptance, she was now living with a sixth man. そしてこの時には、受け入れられるという望みすら抱かずに、6番目の男性と暮らしていました。 But they were not married to each other. 結婚はしていませんでしたが。 Why spend your energy on something that you are sure will end up in failure? なぜ人は失敗に終わると分かっていることにエネルギーを費やすのでしょうか。 She had nothing to put her hope in. 彼女には望みを託せるものはありませんでした。 She had nothing to hope for. 望みたいこともありませんでした。 And in the end, it was this lack of hope that lead her to make decisions that would cause her even further isolation and pain. つまり、よりいっそうの孤立と痛みを引き起こすような決断を彼女がしたのは、彼女に希望が無かったからなのです。 When the sun rises each morning, what do you hope for? 毎朝日が昇るとき、あなたはその1日がどうなって欲しいと思いますか?
As the curtain is raised on a new day, what do you put your hope in? 新しい1日の幕が上がる時に、あなたは何に望みを託しますか?
The punishing sun beat down on the woman at the well. その井戸の所では、太陽の光がギラギラとその女に照り付けていました
She was alone, isolated, rejected; trying to bear the emptiness of failure by herself. 彼女はひとりぼっちで、孤立していて、仲間はずれでした、たったひとりで満たされない思いを☆抱えていました。
This day, too, the sun had risen just as it had every other day. この日もまた、いつもと同じように日が昇りました。 What would be out there for her today? その日そこで彼女に何が起こったのでしょう?
Like every other day, this woman had woken to the reality of her own desperate situation. いつもと同じように、この女は自分の絶望的な現実の中に目を覚ましました。 Until that day, the stage of her life had been darkened by the long shadows of her past. その日まで、彼女の人生のステージは彼女の過去が落とす長い影で暗く覆われていました。
It was a past filled with failure, rejection, and isolation. 失敗し、拒絶され、孤立する、そんなことばかりでした。 Though the sun rose each morning, her world was always covered in darkness. 毎朝日が昇っても、彼女の世界は闇に覆われたままでした。
That darkness controlled her. その闇が彼女を支配していました。
So her day today would also be filled with the fear of further failure, continued rejection, and deeper isolation. それでその日も、今日もまたきっとうまく行かない、今日も仲間はずれで、ひとりぼっちのままなんだ、という思いしかありませんでした。 The only hope that she could hold was for the night to come quickly and draw the curtain on another day. 彼女が持つことができたたったひとつの希望は、早く夜が来て、1日の幕が下ろされること、でした。 She had gone to the well to draw water. 彼女は水を汲むために井戸へ行きました。
That well was a gathering place for the villagers. その井戸は村人達が集まる場所でした。
It symbolized their acceptance and belonging. 受け入れられていること、仲間であることを象徴していました。
It symbolized refreshment and cleansing for them. 新しい力と清めを象徴していました。
It symbolized fulfillment, sustenance – life itself. 人生が、満たされていること、支えられていることの象徴でした。
But this woman had gone there in the heat of the day. ですがその女は日中の暑いときにそこへ行きました。
The blessings that the well represented for everyone else didn’t seem available to her. その井戸が他の人みんなにもたらしていた祝福はその女には手に入らないようでした。
She desperately wanted refreshing; she longed to be fulfilled; and she cried out for cleansing. 彼女は強くなりたい、満たされたい、清められたいと心の底から願っていました。
But the water from the well couldn’t really offer her any of those things. けれども、その井戸の水は彼女を本当の意味で強くし、満たし、清めることはできませんでした。
Even though she drank, she was still dry; その水を飲んだとしても、渇いたままで
even though she ate, she remained empty; 何かを食べたとしても、満たされないままで、
and even though she bathed, she never felt clean. そして水を浴びたとしても、きれいになったとは感じられませんでした。
When the sun rose and shone on everybody else’s lives, her own life seemed so much more darker. 他の人達の人生の上には太陽が昇って輝いているのに、彼女の人生はとても暗く見えました。
The curtain is now being raised on the year 2014. 2014年の幕が開けました。
What do you think will appear on the stage of your life? あなたの人生のステージには何が登場すると思いますか?
What does the light reveal in your heart? スポットライトはあなたの心の中の何を明らかにするでしょう?
What do you hope for? あなたは何を期待していますか?
What are you putting your hope in? あなたは何に期待していますか?
The problem for that woman is also our problem. あの女の問題は私達の問題でもあります。
What will really quench the thirst of our souls? 何が私達の魂の渇きを本当に癒してくれるのでしょう?
What will truly fill the emptiness of our hearts? 何が私達の心の空しさを本当に満たしてくれるのでしょう?
What will effectively cleanse us from our unholiness in the eyes of our Holy Creator God? 何が、清い神様の前で、私達の汚れをすっかり清めてくれるのでしょう? What will honestly give our lives meaning and hope, peace and security in the coming year? 何が、この新しい年に、私達の人生に本当の意味と希望、平安そして安心を与えてくれるのでしょう?
On this day, a new light was about to dawn on this woman. この日、この女に新しい夜明けの光が指そうとしていました。
The curtain was being raised and the shadows of her darkness were about to be lifted. 幕があがり、そして、彼女の心の闇の影が取り除かれようとしていました。
The Light of Life was about to be revealed. いのちの光が現れようとしていました。
The woman had gone to the well to draw water. その女は水を汲むために井戸へ行きました。
But that well, and the water that came from it, had only served to highlight her inner insecurities, incompleteness and brokenness. ですがその井戸とその水は彼女の内面の不安や、不完全さ、心の傷を際立たせただけでした。
Now Jesus offered her a different kind of water. そこで、イエス様は彼女に違う種類の水を与えました。
He called it living water. それはいのちの水と呼ばれていました。
Jesus declared to her: イエス様は彼女に言われました。
• …"Everyone who drinks this water will be thirsty again, but whoever drinks the water I give him will never thirst. Indeed, the water I give him will become in him a spring of water welling up to eternal life." (John 4:13,14)
• 「この水を飲む者はだれでも、また渇きます。
しかし、わたしが与える水を飲む者はだれでも、決して渇くことがありません。わたしが与える水は、その人のうちで泉となり、永遠のいのちへの水がわき出ます。」 Water gives life. 水は命を与えます。
Water that comes out of the ground sustains our physical bodies. 地面から湧き出る水は私達の肉体を満たします。
But as this woman well knew, even though she could receive that water everyday, there was no life in her heart and soul. けれども、毎日その水を受け取っていたとしても、自分の心と霊とを生かすことにはならない、ということをその女は知っていました。
What was this water that Jesus offered? イエス様が与えた水とはなんだったのでしょう?
It was not water that came up out of the ground. それは地面から湧き出る水ではありませんでした。
It was water that had come down from heaven. それは天国からやってくる水でした。
It was the Water of Life. The water of eternal life. それはいのちの水でした、永遠の命の水です。
In fact, this water that Jesus was talking about was Himself. つまり、イエス様が話しておられた水というのは、イエス様ご自身のことでした。
Jesus is this Water of Life. イエス様こそがいのちの水です。
And as this woman talked with Jesus, she came to understand that Jesus really knew her. この女はイエス様と話していくにつれて、イエス様が本当に自分のことを知ってくださっているということを理解するようになりました。
Jesus really understood her. イエス様には彼女のことがよく分かっていました。
And in spite of her background, and in spite of everyone else, Jesus perfectly loved and accepted her. 彼女の今までの人生がどうであっても、他の人達が彼女のことをなんと言っていても、イエス様は彼女を完全に愛し、受け入れてくださいました。
And in this love and acceptance, the thirst of this woman’s soul became quenched; そして愛され受け入れられることで、その女の魂の渇きは癒されていき、
the emptiness of her heart was filled; 心の空しさは満たされ、
the broken and unholiness of her heart before God was cleansed; 神様の前に傷つき、汚れていた彼女の心は清められ、
and as a result, she discovered the true meaning and hope, the peace and security of her life. それによって、彼女は人生の本当の意味と希望、平安と安心とはどんなものなのかを知りました。
Until that time, the woman had been watching the wrong curtain, stage. その時まで、その女は間違った幕、間違ったステージを見ていました。
Her failures, worries - the feelings of emptiness and loneliness - they had all been very real for her. 彼女の失敗、心配―空しさと寂しさを感じてしまうこと―、それらすべてが彼女にとっては現実でした。
And that is the only reality that she knew. そしてそれが彼女が知っていた現実の全てでした。
Then she met Jesus, and Jesus changed her focus. 彼女がイエス様に出会った時、イエス様は彼女の心の向きを変えました。
Jesus directed her focus away from her own weakness and failure. 彼女自身の弱さと失敗ではなく、別の方へと心を向けるように。
Jesus directed her focus away from the people around her. 周りの人達のことではなく、違う方を見るようにと。
He turned that focus on the source of hope – the only source of hope, the source of life, for her. 希望の源へ―彼女にとってたったひとつの希望の源、本当のいのちの源へと―イエス様がその心の向きを変えてくださったのです。
This was Jesus Himself: the source of true life, the Living Water. ここで言っている本当のいのちの源、いける水とは、イエス様ご自身のことです。
And what was her response? それから彼女はどうしたでしょうか?
She ran straight to the village. 彼女はまっすぐ村へ走っていきました。
She boldly, shamelessly – more than that, desperately, excitedly – went directly to all those people who had rejected her. 彼女は大胆に、恥じを捨てて―そして必死に、興奮して―自分を仲間はずれにしていた人達の所へとまっすぐに向かいました。
She had found true acceptance and peace, 彼女は、本当の意味で受け入れられることと平安とを手に入れました、
and now she desperately wanted for everyone else to also experience this. そして今度は他のみんなにもどうしてもそれを体験して欲しいと思いました。
The people had rejected the woman, but the woman now accepted them. 村人達は彼女のことをのけ者にしていましたが、今彼女は彼らを受け入れました。
Her society had considered her to be unacceptable, and so she had been abandoned. その村では彼女は受け入れたくない存在と思われていて、見捨てられていました。
But because she had now experienced and understood true acceptance from her Creator, she knew that this is also what everyone else needed. ですが、今や彼女は創り主に本当の意味で受け入れられるということを体験し、理解しました、それで、これは他の人達にとっても必要な物だ、ということが分かったのです。
A new curtain had been raised on a new life. 新しい人生の幕が開きました。
Instead of a stage of scary shadows, there was warm and friendly light; もうステージは恐ろしい影に覆われてはいません、暖かく優しい光が照らしていました、
emptiness and isolation were gone; 空しさと孤独は去り
shame and fear had disappeared; 恥じと恐れは消えました
instead of hiding, this woman was now filled with a passionate boldness. 今までは人の目を避けていましたが、今は情熱的な大胆さで満たされていました。
She was accepted. She was loved. She was alive! 彼女は受け入れられ、愛されました、そしていきいきと生きていました。
Instead of being controlled, she was now empowered. 今までは支配されていましたが、今は力を得ました。
And she was now going into the village – a new stage with a brand new story. そして彼女は村に入って行こうとしていました―新しい物語の幕開けです。
She told the people there about Jesus. 彼女は村の人たちにイエス様のことを話しました。
And the people there listened to her. 村人達は彼女の話しに耳を傾けました。
They saw her. 彼女をよく見てみると、
It was that woman who always went to the well in the heat of the day. いつも日中の暑い時に井戸に行っていたあの女でした。
But when they saw the change that had taken place in that woman, their own focus was also unexpectedly changed. ですが、その女が前とは変わっているのを見て、彼らの見るところも思いがけず変えられてしまいました。
They used to look down on the woman, 彼らは以前はその女のことを見下していました、
They saw her as being below themselves, 彼女のことを自分達よりも低い存在だと見ていました。
So they felt that they themselves were alright. そうすることで、自分達は正しいと感じていたのです。
But now they saw this new freedom in her. けれども、今彼らは彼女が手に入れた新しい自由に気付きました。
They saw her strength, her passion, her joy. 彼女の強さや、情熱や、喜びが伝わって来ました。
They saw life, bubbling up like a living stream within her. まるで生きている流れのように、彼女の中に命がわきあがっているのが分かりました。
Who were these people? 彼らは本当は何者だったのでしょう?
Who did they really belong to? 彼らは本当は誰に属する者だったのでしょう?
When they stopped comparing themselves to the woman, they too were also freed to look within themselves – to see themselves as they really were. 彼らが自分達とその女とを比べるのをやめた時、彼らもまた素直に自分達の内面―自分達の本当の姿を見ることができるようになりました。
Were their own hearts, their souls, actually really refreshed, fulfilled, and cleansed? 自分達の心の方こそ、本当の意味で強められ、満たされ、清められてはいなかったのではないかと。
What had they been putting their hope in? 彼らは何に望みを託していたのでしょう?
They had their marriages, their jobs, their social status – 彼らは結婚していましたし、仕事も社会的な地位も持っていました、
compared to that woman, they certainly seemed to have their lives in order. あの女と比べれば、勝ち組に見えました。
They had busily, carefully, scripted and rehearsed the lines of their own lives. 彼らはせっせと、注意深く、自分達の人生の脚本を書いて、セリフの練習もしていました。
But did they really have what was overflowing from this woman? ですが本当のところ、この女からあふれ出ていたような物を、彼らは持っていたのでしょうか?
Maybe those people from the village were not so different to that woman after all. 結局の所、村人達とあの女とに全く違いはなかったのでしょう。
Because if we read on, we are told that they followed the woman back out of the village. なぜなら、もう少し読んでいくと、彼らは村から出て、女が戻るのについていったとあるからです。
They headed to the well. 彼らは井戸に向かいました。
They went to that place where they had drawn water everyday. 毎日水をくんでいたその場所に行きました。
But this time, they were together with the woman. ですがその時は、その女と一緒でした。
And they were going to meet Jesus – the Living Water. そして彼らはイエス様、生ける水に会おうとしていました。
Friends, as the curtain continues to rise on a new year for us, we don’t know the details of what will take place. 皆さん、私達にとっての新しい年の幕は上がり始めましたが、私達には何が起きるか細かいことはわかりません。
We can’t even know what will happen tomorrow. 明日何が起こるかも分かりません。
But we can know the One who holds tomorrow in His hands. ですが明日をその御手の中に持っておられるただひとりの方を知ることができます。
The life that Jesus, the Living Water, offers us, will heal us. It will satisfy us. It will cleanse us. 生ける水であるイエス様が与えてくださるいのちは、必ず、私達を癒し、満たし、清めてくださいます。
And so when you know Jesus, you will know what it means to be truly accepted and loved. そしてイエス様を知るときに、本当に受け入れられ愛されるとはどういうことなのかがあなたにもきっと分かるでしょう。
When you receive this living water from Jesus, you too will also be empowered with the love to reach out and share this embracing love of Jesus with the people around you. あなたがイエス様からの生ける水を受け取る時、その愛を受けて、イエス様のように、進んで、愛を持って周りの人を受け入れることができるようになります。
As this new year starts, If you are thirsty, empty, and hungering to be filled, この年の初めに、もしあなたが乾いていて、空っぽで、満たされたいと心から望んでいるなら、
if you are isolated, broken, and longing to be made whole, もしあなたが孤独で、傷ついていて、癒されたいと望んでいるなら、
please know that Jesus is reaching out to you, right now, ぜひ知って下さい。今、イエス様が、あなたのそばに居てくださって、
to give you Himself – the water that wells up to eternal life. 永遠のいのちへと湧き出る水であるイエス様ご自身を与えてくださるということを。
Jesus will light the stage of your life. イエス様はあなたの人生のステージを照らしてくださいます。